なぜ、手に入れても満たされないのか?
「まだまだ働けたかもしれないな」
「退職金だけじゃ心もとないな」
「老後資金、2,000万円じゃ足りないって言われてもな…」
定年を迎えたあと、ふと頭をよぎる“足りなさ”への不安。
周りと比べては「もっと欲しい」「もっとやれる」と思ってしまう。
そんなとき、ある本で見かけた言葉がある。
「知足者富(ちそくしゃふう)」
足るを知る者は富む
これは、**老子の『道徳経』**にある教え。
「いま持っているもので満足できる人こそが、本当に豊かな人である」という意味だ。
どこか理想論のようにも感じたが、
読み進めていくうちに、年齢を重ねた今だからこそ、
この言葉の重みがわかるようになってきた。
“ないもの”を追いかける苦しさ
現役時代は、ずっと何かを追いかけてきた。
昇進、収入、マイホーム、子どもの進学──
「もっと良くなりたい」「もっと得たい」
その思いが、前に進むエネルギーになっていた。
だが、退職して立ち止まったとき、気づいた。
「得たい」という気持ちは、どこまでいっても終わらない。
・孫が生まれたら、今度は健康が気になる
・年金が支給されても、もっと安定が欲しくなる
・趣味が増えても、時間が足りなくなる
“今、足りない”と思う心には、終わりがない。
それに気づいてからは、発想を変えてみた。
「ないもの」を数えるのではなく、「あるもの」を見つめてみる。
・妻と今日も一緒に朝ごはんが食べられた
・天気がいいから散歩に出かけられた
・昨夜、息子から近況報告のLINEが届いた
それだけで、心の中にじんわりとした豊かさが広がっていった。
「これで十分」という人生の贅沢
数年前、旅行先で出会った70代の男性が、こんなことを言っていた。
「退職してから、毎朝同じベンチに座って、空を見るのが習慣なんです。
ひとつの雲が流れていくだけで、なんだかもう“今日は豊作”って気持ちになります」
その姿が、なんとも穏やかで、豊かだった。
人は若いころ、「もっと上を」と背伸びをする。
でも歳を重ねてからこそ、「もう、これでいいや」と思えることが一番の贅沢になる。
「足るを知る」とは、“諦めること”じゃない。
むしろ、自分の人生を肯定する選択だと思う。
・この小さな庭で、四季を感じられること
・この身体で、今日も歩けること
・この年齢で、まだ誰かに感謝できること
それが、「もう十分」と思える理由になる。
豊かさは、心が決める
お金も、健康も、人間関係も──
もちろん、多ければ安心だし、ありがたい。
けれど、「足るを知らない心」には、
どれだけあっても満たされることはない。
逆に、「足るを知る心」を持てたなら、
今あるものすべてが、愛おしく見えてくる。
これは、若いころには見えなかった景色だ。
物質よりも、経験が価値を持ち、
効率よりも、余白が喜びになる。
今、この瞬間を「ありがたい」と思える自分に出会えたなら、
それこそが、**人生最大の“財産”**なのかもしれない。
■ 次回予告(例)
次回は「人間万事塞翁が馬」──予測不能な人生の中で、柔らかくしなやかに生きる知恵について、
シニアの視点から語っていきます。