その言葉に、少し引っかかっていた
「老いては子に従え」
このことわざを初めて意識したのは、息子が結婚した日の夜だった。
式も無事終わり、妻と二人でホテルに戻ったとき、しみじみと話したものだ。
「これからは、息子たちのやり方を見守ってあげないとね」
そう言う妻の言葉に、うなずきながらも、どこか引っかかる自分がいた。
従う? 俺が?
気づけば66歳。社会人生活は真面目一筋、定年まで勤め上げた。
家庭では子育ても全力でやってきたつもりだ。
その俺が、これからは“子に従う”? どうにも腑に落ちなかった。
だが、この数年で、少しずつその意味が見えてきた。
従うことは、負けることじゃない
息子夫婦が家に遊びに来たときのこと。
「お父さん、最近野菜、摂ってる? 血圧とか大丈夫?」
と嫁が心配そうに声をかけてくれた。
「まあまあ、気にしてるさ」と笑いながら返すと、
「今度、塩分控えめのレシピ送りますね」とLINEが届いた。
心配してくれるのはありがたい。
だが正直、最初は少しプライドが傷ついた。
「そんなに弱って見えるのか?」「まだ若いもんには負けないぞ」
そんな気持ちがふつふつと湧いていた。
でも、ふと気づいた。
これは“上からの命令”じゃない。“愛からの提案”なんだと。
俺たちがかつて、子どもを気づかい、言葉を選んで育てたように、
今は子どもたちが、親を気づかう番になったのだ。
その気持ちに、素直に“ありがとう”と言えたとき、
「従う」という言葉の印象がガラリと変わった。
それは「負けること」じゃない。
むしろ「信じて委ねること」だ。
ゆだねることで、家族の関係は豊かになる
ある日、スマートフォンの使い方で困っていたとき、息子に尋ねた。
「こんなとき、どうすりゃいい?」
すると、息子が言った。
「お父さんさ、聞くようになったよね。前は絶対、自分でやろうとしてたのに」
その言葉に、ハッとした。
たしかに、若いころの俺は「人に頼るのは甘えだ」と思っていた。
でも今は、わからないことは素直に聞き、任せられることは任せる方が楽だし、なにより“関係が深まる”。
実際、頼られるよりも、頼られる側のほうが自己肯定感が上がるのだという。
息子が少し誇らしげに操作を教えてくれる様子を見て、
「親が従う」ことは、「子の成長を受け入れること」でもあると知った。
それ以来、肩の力が抜けてきた。
・食のことも、若い世代の知恵に頼る
・旅行の手配も、スマホが得意な嫁に任せる
・健康のことも、息子の助言に素直に耳を傾ける
従うというのは、上下の話じゃない。
**家族というチームで、“役割を柔軟に入れ替えていくこと”**だ。
プライドを手放す勇気が、関係を変える
「老いては子に従え」
この言葉は決して、「黙って子どもに従え」という命令ではない。
それよりも、「子どもの意見を信じ、ゆだねてみよう」という提案だと思う。
そして何より、
“従う自分”を認めてあげることで、自分自身もずっと生きやすくなる。
60代、70代と年を重ねていくなかで、
少しずつプライドを手放し、人に頼る技術を覚えることは、
人生を柔らかく、温かくしてくれる。
子どもたちは、いつか親を超えていく。
それを寂しいと感じるよりも、誇りに思えるようになったとき、
「老いては子に従え」は、人生を照らす優しい灯になる。
次回予告
次回は「足るを知る」──“ないものねだり”を手放すことで見える幸福について、
シニアの視点から深掘りしていきます。