つまづいたあの時、彼は人生が止まった気がしていた
定年を迎えたばかりの男性がいた。
長年勤め上げた会社を離れ、「自由な時間が手に入った」と胸を躍らせていた彼。
しかし、その期待はあっという間に裏切られた。
毎朝、目覚めは早い。だが予定は何もない。
ふとんの中で「今日は何をしよう」と考えているうちに、気が重くなる。
家で過ごす時間が増えれば、些細なことで妻と口論になることも増えた。
「今さら、何ができるだろうか」
そんな問いを、誰にともなく呟くことが増えた。
若い頃は、失敗しても「また次がある」と思えた。
だが今は、「もう最後のチャンスだったかもしれない」という不安がつきまとう。
一度つまづけば、立ち上がるよりも「もうこのままでいいか」と諦めたくなってしまう。
本屋で出会った「にんげんだもの」の文字
ある日、彼は何気なく立ち寄った書店で、一冊の詩集に目を奪われた。
表紙には、太い筆文字でこう書かれていた。
にんげんだもの
つまづいたっていいじゃないか
にんげんだもの
その言葉を目にしたとき、彼は足が止まり、
次の瞬間には胸の奥が熱くなった。
「つまづいたって…いい?」
「こんな年齢で? 今の状況でも?」
誰かにそう許された気がした。
彼の中で、張りつめていた何かがふっと緩んだ。
ずっと責めていた“弱い自分”を、ようやく認めてあげられた瞬間だった。
それから、彼は少しずつ、自分の歩調で人生を見つめ直していった。
転んだぶん、語れる人生ができた
今、彼は毎日を静かに丁寧に過ごしている。
朝、コーヒーを淹れ、新聞を読み、
妻とたわいない話をしながら、近所の公園をゆっくりと散歩する。
「なあんだ、こんなふうに過ごす時間も、悪くないな」
そう笑う彼の顔には、焦りや虚しさはもう見当たらない。
ある日、息子がこう言った。
「最近の父さん、自然体でいいね」
きっと、つまづいた自分を許せたからこそ、
周囲にもやさしくなれたのだろう。
「つまづき」は人生を止めるものじゃない
この世に、完璧な人間なんていない。
年齢を重ねれば、つまづく場面も変わる。
でも、それは「まだ人生が続いている」という証しだ。
つまづいたっていいじゃないか
にんげんだもの
今日、何かに疲れてしまったあなたへ。
「もう無理かもしれない」と感じたその日こそ、
この言葉を思い出してほしい。
転んでも、泣いても、立ち止まっても。
それでも前を向けるなら、それは立派な“生き方”です。