「好きなことで生きていけたら、どんなに幸せだろう」――誰もが一度は抱く憧れです。けれど、いざその夢を叶えた人たちの中に、疲弊し、燃え尽きてしまう姿があることも事実。「好き」という気持ちが、いつの間にか搾取の道具になってしまうのは、なぜでしょうか。
本記事では、情熱と報酬のバランスについて、やさしく、でも真剣に考えてみたいと思います。
「好きだから」が値切りの言い訳になる瞬間
「この仕事、好きでやってるんでしょ？」――この言葉を聞いたとき、あなたはどう感じますか？もしかすると、心の奥で小さな違和感を覚えながらも、「そうですね」と笑顔で答えてしまった経験があるかもしれません。
**好きなことを仕事にすると、なぜか「報酬を求めてはいけない」という空気が生まれます。**まるで、楽しんでいる分、お金をもらうのは申し訳ないことのように。でも、ちょっと待ってください。あなたがその仕事を「好き」になるまでに、どれだけの時間と努力を注いできたでしょうか。技術を磨き、知識を深め、失敗を重ねながら、ようやくプロとして通用するレベルに到達したのではないでしょうか。
私自身、クリエイティブな仕事をする友人たちから、こんな話をよく聞きます。「納期はタイトなのに報酬は雀の涙。でも『好きな仕事だから』と言われると、断れなくて」。**好きという感情が、正当な対価を求める勇気を奪ってしまう。**これが「やりがい搾取」の入り口です。
アニメ業界や出版業界、保育や介護の現場でも、同じ構造が見られます。「やりがい」や「使命感」という言葉の陰で、長時間労働と低賃金が常態化している。情熱は、決して安売りの理由にはならないはずなのに。
「お金を求めるのは卑しい」という呪い
日本には昔から「清貧の美徳」という考え方があります。お金に執着しないことが美しい、報酬を求めるのは欲深い――そんな価値観が、私たちの心に深く根付いています。
特に「人の役に立つ仕事」「創造的な仕事」では、この傾向が顕著です。教師、看護師、福祉職、芸術家。こうした職業に就く人たちは、「お金のためじゃない」と言うことを、暗に求められている気がします。
けれど、考えてみてください。どんなに崇高な仕事であっても、働く人には生活があります。家族がいて、家賃があって、食事があって、たまには心を癒す時間も必要です。情熱だけでは、お腹は満たされません。
私がこの問題について考えるようになったのは、ある保育士さんの言葉がきっかけでした。「子どもたちは本当にかわいい。でも、この給料では自分の子どもを持つことすら考えられない」。好きな仕事を続けるために、自分の人生を諦めなければならない――これは、あまりにも理不尽ではないでしょうか。
**好きな仕事でお金を稼ぐことは、恥ずかしいことでも欲張りなことでもありません。**むしろ、その仕事を長く続け、より良いものを提供していくために必要なことなのです。
情熱が尽きる前に、境界線を引く知恵
「好きだから頑張れる」――確かにその通りです。けれど、「好き」という感情にも限界があります。睡眠を削り、休日を犠牲にし、それでも生活が苦しいままでは、いつか心が折れてしまいます。
**好きなことを一生の仕事にしたいなら、情熱を守るための境界線が必要です。**これは、わがままでも甘えでもありません。持続可能な働き方を作るための、賢明な選択なのです。人生という旅の途中で、自分のペースを守ることは、ゴールに到達することよりも大切なのです。
ある若手イラストレーターの方は、こんな工夫をしていました。「時給換算して最低賃金を下回る案件は、どんなに魅力的でも受けないと決めた。最初は仕事が減って不安だったけど、不思議と『この人は安く使えない』と理解したクライアントからの、適正価格の依頼が増えた」。
また、別のフリーランスの方は「週に一日は絶対に仕事をしない日」を設けているそうです。「休むことで、また『好き』という気持ちが新鮮になる。休まずに働き続けると、好きだったはずの仕事が苦痛になってしまう」と語っていました。
**境界線を引くことは、自分の情熱を大切にすることです。**燃え尽きてしまったら、その仕事を続けることも、誰かに価値を提供することもできなくなってしまうのですから。
「好き」をプロとして提供する誇り
ここで、一つ大切なことを確認したいと思います。あなたの「好き」は、趣味のレベルを超えて、プロとしての責任を伴っています。
趣味で絵を描くのと、クライアントの要望に応えてイラストを納品するのは、全く別のことです。好きな料理を作るのと、お客様に満足してもらえる料理を提供するのも違います。プロである以上、締め切りを守り、クオリティを保ち、相手の期待に応える責任があります。
だからこそ、その対価を堂々と受け取る権利があるのです。
「好きでやってるんでしょ？」と言われたとき、こう答えてみてはどうでしょうか。「はい、好きです。だからこそ、プロとして責任を持って取り組んでいます。その対価として、この金額をいただいています」。
この言葉には、自分の仕事への誇りと、適正な報酬を求める正当性が込められています。好きなことをプロとして提供する誇りを、遠慮する必要はありません。
私は、この考え方が広まれば、「やりがい搾取」という言葉そのものが不要になる社会が来ると信じています。情熱を持って働く人が、その情熱にふさわしい報酬を得られる。それが当たり前の世界を、一緒に作っていきたいのです。
情熱と生活、両方を守る選択肢
最後に、もう一つの選択肢についてお話しします。それは、「好きなこと」と「生活のための仕事」を分けるという道です。
この選択を「妥協」だと感じる必要はありません。生活が安定しているからこそ、好きなことに純粋に向き合える。プレッシャーなく創作できる。そんな働き方も、一つの賢い戦略なのです。
ある作家さんは、こう語っていました。「日中は会社員として働き、夜と週末に小説を書く。収入の心配がないから、売れ線を狙わず、本当に書きたいものを書ける。この生活が、自分には合っている」。
**好きなことを仕事にする方法は、一つではありません。**フルタイムで情熱を注ぐ道もあれば、生活と情熱のバランスを取りながら歩む道もある。大切なのは、自分にとって持続可能で、心地よい働き方を見つけることです。
どんな選択をするにしても、忘れないでください。**あなたの情熱には価値があります。**その価値を守るための境界線を引くことも、適正な報酬を求めることも、決して間違いではないのです。
情熱は育てるもの、守るもの
「好きを仕事に」という言葉は、とても美しい響きを持っています。けれど、その実現には、情熱だけでなく、現実的な知恵も必要です。
**好きなことを仕事にするなら、その情熱に正当な対価を求める勇気を持ってください。**あなたの「好き」は、誰かに安く使われるためのものではありません。あなた自身が大切に育て、社会に価値を提供し、そして自分の人生を豊かにするためのものです。
情熱と報酬、どちらか一方ではなく、両方を手にする権利が、私たちにはあります。桜が毎年咲いては散るように、情熱もまた、適切な休息と栄養があってこそ、来年も美しく花開くことができます。好きなことで生きていくとは、その情熱を燃やし続けられる環境を、自分自身で守り抜くことなのかもしれません。
あなたの「好き」が、長く、健やかに、あなたの人生を照らし続けますように。
