「60代、70代の女性が、なぜ性産業で働いているのか」――その問いの答えは、私たちが想像するよりも、はるかに複雑で深いものでした。
ノンフィクションライター・中山美里氏の『高齢者風俗嬢』は、高齢女性たちが性産業で働く実態を丁寧に取材したルポルタージュです。この本が描くのは、単なる「珍しい職業」の話ではありません。高齢女性の貧困、孤独、そして生きるための選択という、日本社会が直面している深刻な問題なのです。
タイトルは衝撃的かもしれません。しかし、ページをめくれば、そこにあるのは一人ひとりの人生、それぞれの事情、そして尊厳を持って生きようとする女性たちの姿です。偏見を超えて、彼女たちの声に耳を傾けることから、見えてくる社会の真実があります。
書籍の基本情報
- 書籍名: 高齢者風俗嬢
- 著者: 中山美里(なかやま・みさと)
- 出版社: 洋泉社(現・宝島社)
- 発行年: 2015年
- ページ数: 約240ページ
- ジャンル: 社会老齢学、ルポルタージュ、ノンフィクション
著者の中山美里氏は、ノンフィクションライターとして、性や家族、貧困といった社会の周縁にある人々を取材し続けています。本書は、60代以上の女性が性産業で働く実態を、偏見なく真摯に取材した労作です。発売当初から大きな反響を呼び、高齢女性の貧困問題を社会に問いかける一冊となりました。
彼女たちが語る働く理由と生活の実態
本書の核心は、なぜ高齢の女性たちが性産業で働くのかという問いです。中山氏が取材した女性たちの多くは、60代から70代。中には80代の方もいます。彼女たちが口を揃えて言うのは、「生活のため」という切実な理由でした。
年金だけでは生活できない。貯金も底をついた。子どもには頼れない、頼りたくない。そんな状況で、高齢でも受け入れてくれる仕事として、性産業を選んだと言います。若い頃なら他の選択肢もあったかもしれない。しかし、年齢を理由に普通の仕事に就けない現実があります。年齢差別と経済的困窮が、彼女たちをこの仕事へと向かわせたのです。
取材に応じた女性たちの人生は、実に多様です。離婚してシングルマザーとして子どもを育て上げ、自分の老後資金が残らなかった人。夫の事業失敗で借金を背負った人。介護費用で貯金を使い果たした人。どの人生にも、努力と困難があり、そして最後に辿り着いたのが、この仕事だったのです。
印象的なのは、彼女たちの多くが「恥ずかしい仕事だとは思っていない」と語ることです。むしろ、お客さんに喜んでもらえることに、やりがいを感じている人もいます。孤独な高齢男性の話し相手になり、癒しを提供する。それも一つの社会貢献だと、前向きに捉えている女性もいるのです。仕事への誇りと尊厳を持ちながら働く姿が、偏見を超えて伝わってきます。
高齢女性の貧困という社会問題
本書を読んで浮かび上がるのは、高齢女性の貧困という日本社会の深刻な問題です。統計によれば、65歳以上の単身女性の約半数が貧困状態にあるとされています。この数字の背景には、構造的な問題があります。
多くの高齢女性は、専業主婦として家庭を支えてきました。夫の収入に依存し、自分名義の年金は少ない。離婚すれば、さらに経済的に困窮します。パートで働いても、年齢とともに仕事は減り、収入は下がる。貯金を切り崩しながら生活するしかない。こうした状況で、最後のセーフティネットさえ機能していない現実があるのです。
中山氏が指摘するのは、「自己責任論」の問題です。「若い頃に貯金しなかったのが悪い」「離婚したのが悪い」。そんな声もあります。しかし、人生には予期せぬ出来事が起こります。病気、介護、失業、離婚。それらすべてを「自己責任」で片付けることが、果たして正しいのでしょうか。
本書に登場する女性たちは、決して怠惰だったわけではありません。むしろ、真面目に働き、家族を支え、社会に貢献してきた人たちです。それでも、セーフティネットから漏れ落ちてしまった。その事実が、日本の社会保障制度の限界を浮き彫りにしています。
また、「見えない貧困」の問題も本書は照らし出します。外見からは貧困だとわからない。プライドもあり、周囲に助けを求められない。だから、誰にも気づかれないまま、静かに困窮していく。こうした高齢女性の貧困は、社会の死角に隠れているのです。
性産業が提供する居場所という現実
意外に思われるかもしれませんが、本書では性産業が一種の「居場所」として機能している側面も描かれています。高齢女性にとって、この仕事は単なる収入源以上の意味を持つことがあるのです。
多くの女性が語るのは、「孤独からの解放」です。一人暮らしで、話し相手もいない。子どもは遠くに住んでいて、なかなか会えない。友人も年々減っていく。そんな中で、職場には同世代の女性たちがいて、お客さんとも会話ができる。人とのつながり、社会との接点が、この仕事にはあるのです。
また、「必要とされる喜び」を語る女性もいます。年を取ると、社会から必要とされなくなったと感じることが多い。しかし、この仕事では、お客さんが自分を指名してくれる、感謝してくれる。その経験が、自己肯定感を支えていると言うのです。
中山氏は、この事実を単純に肯定も否定もしません。むしろ、「性産業でしか居場所を見いだせない社会」の方に問題があるのではないか、と問いかけます。本来なら、地域社会やコミュニティで、高齢者が役割を持ち、つながりを持てるはずです。しかし、それが機能していない現実があります。
性産業で働くことを選択する自由は尊重されるべきです。しかし同時に、それ以外の選択肢が十分にあるのかという問いも重要です。本書は、その両面を丁寧に描きながら、読者に考えることを促します。
高齢者の性と人間の尊厳
本書のもう一つの重要なテーマが、高齢者の性と尊厳についてです。この本は、働く側の女性だけでなく、お客さん側の高齢男性についても取材しています。そこから見えてくるのは、年齢を重ねても消えない性的欲求と、それをどう満たすかという問題です。
高齢の男性客の多くは、配偶者を亡くしたり、セックスレスだったりする人たちです。孤独で、人肌の温もりを求めている。単純に性的快楽だけでなく、人とのスキンシップ、会話、癒しを求めて風俗を利用すると言います。中には、プレイよりも話すことが目的だという人もいます。
中山氏は、高齢者の性的欲求を否定的に捉えません。むしろ、それは自然な人間の欲求であり、生きている証でもあると理解を示します。問題は、その欲求を満たす手段が限られていること、そしてタブー視されて語りにくいことだと指摘します。
興味深いのは、高齢の女性が高齢の男性にサービスを提供するという構図が、双方にとって心地よい場合があるということです。若い女性には緊張してしまうという高齢男性も、同世代の女性なら安心できる。女性側も、若い男性客より、同世代の方が話が合うと言います。「お互い様」という関係性が、そこにはあるのです。
ただし、中山氏は搾取の構造にも目を向けます。経済的困窮から働かざるを得ない女性と、お金を払う男性。そこには権力の非対称性があります。しかし同時に、そこにも人間的な交流や、互いへの思いやりが存在することも、丁寧に描かれています。
私たちの社会が向き合うべき課題
本書の最終章では、中山氏がこの問題を社会全体でどう考えるべきかを提起しています。高齢者風俗嬢の存在は、決して「珍しい話」で片付けられる問題ではありません。それは、私たちの社会が抱える複数の課題が凝縮された現象なのです。
第一に、高齢女性の貧困対策です。年金制度の見直し、最低生活保障の充実、高齢者雇用の促進。構造的な対策が必要です。個人の努力だけでは解決できない問題であることを、社会が認識しなければなりません。
第二に、高齢者の孤独問題です。地域コミュニティの再構築、居場所づくり、つながりの創出。性産業以外にも、高齢者が役割を持ち、必要とされる場を作る必要があります。
第三に、高齢者の性をタブー視しない社会づくりです。性的欲求は年齢に関係なく存在します。それを恥ずかしいこと、語ってはいけないこととするのではなく、オープンに語り、適切なケアを提供できる社会を目指すべきだと中山氏は主張します。
そして最も重要なのは、偏見をなくすことです。性産業で働く女性への差別、高齢者の性への嫌悪感。こうした偏見が、問題をさらに見えにくくしています。本書を読むことは、まず偏見に気づき、それを手放すための第一歩になるのです。
現代社会での応用・実践
では、『高齢者風俗嬢』から得た学びを、私たちはどう活かせばいいでしょうか。
まず、高齢女性の経済的自立を支援すること。これは政策レベルの問題でもありますが、個人レベルでもできることがあります。高齢女性の就労を応援する、地域での仕事づくりに協力する、シニア起業を支援する。小さな一歩が、大きな変化につながります。
次に、高齢者の居場所づくりに参加すること。地域の集まり、ボランティア活動、趣味のサークル。こうした場に高齢者を誘う、あるいは自分が将来のために参加しておく。人とのつながりが、孤独を防ぎ、生きがいを生みます。
また、偏見と向き合うこと。性産業で働く人への差別、高齢者の性への嫌悪感。自分の中にある偏見に気づき、それを問い直す。この本を読むこと自体が、その第一歩です。
さらに、自分の老後を具体的に考えること。特に女性は、経済的に困窮するリスクが高いことを認識しましょう。年金の確認、貯蓄計画、キャリア形成。今から準備することが、将来の安心につながります。
最後に、家族や友人と、お金や老後について率直に話すこと。タブー視せず、現実的に語り合う。困ったときに助け合える関係を、今から築いておくことが大切です。
どんな方に読んでもらいたいか
『高齢者風俗嬢』は、すべての世代、特に女性に読んでいただきたい一冊です。
まず、若い女性には、将来の自分の姿を考えるきっかけとして。「まだ関係ない」と思わず、老後の経済設計について今から考えておくことの重要性を、この本は教えてくれます。キャリア、貯蓄、年金――今の選択が、将来を左右するのです。
中年女性には、親世代の状況を理解するために。自分の母親や義母が、実は経済的に困窮しているかもしれない。そのサインに気づき、早めに支援できるようになります。また、自分自身の老後設計を見直す良い機会にもなります。
高齢女性ご本人には、「自分だけではない」という安心と、相談先を知るきっかけとして。困ったときに頼れる制度や支援があること、恥ずかしがらずに助けを求めていいことを、この本は伝えてくれます。
男性にも、ぜひ読んでいただきたい内容です。配偶者の老後、母親の生活、そして高齢者の性の問題。これらは、男性にとっても無関係ではありません。女性の貧困は、社会全体の問題なのです。
社会福祉や医療、介護に関わる方々にも必読です。高齢者の経済問題、性の問題にどう向き合うか。現場での支援のヒントが、ここにあります。
関連書籍5冊紹介
高齢者の性や貧困について、さらに理解を深めるための書籍を紹介します。
1. 『高齢者のセックス』(中山美里著、扶桑社新書)
本書の著者による、高齢者の性をテーマにしたもう一冊のルポルタージュ。60代以上のシニアの性生活を60人以上に取材。高齢者向け風俗、シニア婚活、88歳のAV女優など、多様な高齢者の性の在り方を描き出します。『高齢者風俗嬢』と併せて読むことで、高齢者の性の全体像が見えてきます。
2. 『セックスと超高齢社会』(坂爪真吾著、NHK出版新書)
社会学者による、超高齢社会における性の問題を包括的に論じた一冊。介護現場での性の問題、シニア婚活、高齢者向け性産業など、学術的な視点から整理されています。問題の構造を理解したい方におすすめです。
3. 『下流老人』(藤田孝典著、朝日新書)
高齢者の貧困問題を社会に問いかけたベストセラー。年収200万円以下で暮らす高齢者の実態、貧困に陥るメカニズム、必要な支援策を提示。高齢女性の貧困の背景を理解する上で必読の書です。
4. 『老後破産』(NHKスペシャル取材班著、新潮社)
NHKの番組を書籍化したもの。真面目に働いてきた普通の人が、なぜ老後に破産するのか。その実態を丁寧に取材。「自分は大丈夫」と思っている人にこそ読んでほしい、老後の現実を描いた一冊です。
5. 『女性たちの貧困』(NHK「女性の貧困」取材班著、幻冬舎)
若年女性から高齢女性まで、世代を超えた女性の貧困問題を取材。シングルマザー、非正規雇用、介護離職など、女性を貧困に追い込む構造を明らかにします。女性の生涯を通じた経済問題を理解できます。
まとめ
『高齢者風俗嬢』は、一見衝撃的なタイトルの裏に、現代日本社会の深刻な問題を凝縮したルポルタージュです。中山美里氏の丁寧な取材と誠実な筆致は、偏見を排し、一人ひとりの女性の人生に寄り添います。
この本が教えてくれるのは、高齢女性の貧困、孤独、そして性という、私たちの社会が目を背けてきた現実です。しかし同時に、困難な状況の中でも尊厳を持って生きようとする女性たちの強さも描かれています。
「自己責任」という言葉で片付けることは簡単です。しかし、人生には予期せぬ出来事が起こります。病気、離婚、失業、介護。誰もが、明日は我が身なのです。だからこそ、この問題は他人事ではなく、社会全体で考えるべき課題なのです。
本書を読むことは、決して心地よい体験ではないかもしれません。目を背けたくなる現実もあります。しかし、知ることから変化は始まります。偏見に気づき、問題を認識し、何ができるかを考える。その第一歩として、この本は大きな価値を持っています。
もしあなたが、社会問題に関心があるなら。もし、自分の老後が不安なら。もし、母親や身近な女性の将来を心配しているなら。この本を手に取ってみてください。そこには、私たちが見落としてきた現代社会の真実が、確かに存在しているのです。

