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大往生したけりゃ医療とかかわるなが示す死生観

黒人シニア夫婦と孫娘と愛犬 社会老齢学
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「長生きするためには、医療を頼るのが当たり前」――そう思っていませんか。検査を受け、薬を飲み、病気が見つかれば治療する。それが健康で長生きする秘訣だと、私たちは教えられてきました。

しかし、特別養護老人ホームの常勤医として、数百人の最期を看取ってきた中村仁一医師は、まったく逆のことを主張します。「自然に死ねることこそが、最高の幸せ」だと。過剰な医療介入が、かえって人間らしい穏やかな死を奪っているのではないか、と。

『大往生したけりゃ医療とかかわるな』は、発売当初から賛否両論を巻き起こした衝撃的な一冊です。しかし、その根底にあるのは、医師としての深い経験と、人間の尊厳を最後まで守りたいという温かい想いなのです。

書籍の基本情報

  • 書籍名: 大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ
  • 著者: 中村仁一(なかむら・じんいち)
  • 出版社: 幻冬舎新書
  • 発行年: 2012年
  • ページ数: 約190ページ
  • ジャンル: 社会老齢学、医療、死生観

著者の中村仁一氏(1940-2021)は、京都大学医学部卒業後、財団法人高雄病院院長を経て、社会福祉法人同和園附属診療所所長として、特別養護老人ホームで多くの高齢者の最期に寄り添ってきました。本書は累計70万部を超える大ベストセラーとなり、日本の終末期医療のあり方に一石を投じました。


老衰死は苦しくないという真実

中村医師が本書で最も伝えたいメッセージの一つが、**「老衰による自然死は、実は苦しくない」**という事実です。多くの人は、死ぬことは苦しいものだと恐れています。だから、できるだけ医療の力で延命しようとする。しかし、医師として数多くの自然死を看取ってきた中村氏は、その恐れが誤解だと断言します。

老衰で亡くなる人は、最期の数週間、食べることも飲むこともほとんどしなくなります。これは体が自然に「死の準備」を始めている状態です。食べないことで体内にケトン体という物質が増え、これが天然の麻酔薬のような役割を果たします。その結果、意識は穏やかになり、苦痛を感じることなく、眠るように亡くなっていくのです。

ところが、現代医療はこの自然なプロセスに介入します。「食べられない」「脱水だ」と点滴をする。栄養が足りないと胃ろうを作る。その結果、本来なら穏やかに訪れるはずだった死が、医療によって引き延ばされ、かえって苦痛が増すことになります。チューブにつながれ、意識もはっきりしないまま生かされる――それが本当に本人の望む最期でしょうか。

中村医師の語る看取りのエピソードには、穏やかな死の風景が描かれています。家族に囲まれ、静かに息を引き取る。まるで眠りにつくように。そこに苦悶の表情はありません。「人間、年を取ったら自然に死ねる。それは決して恐ろしいことではない」。この言葉が、どれほど多くの人の死への恐怖を和らげてくれることでしょう。


がん検診が招く過剰医療の罠

本書のもう一つの衝撃的な主張が、**「がん検診を受けなくていい」**というものです。「早期発見・早期治療」は現代医療の金科玉条。しかし中村医師は、特に高齢者にとって、がん検診が必ずしも幸せにつながらないと指摘します。

人間、ある程度の年齢になれば、誰でも体のどこかに小さながんを持っているものだと中村氏は言います。しかし、それらの多くは、ゆっくりとしか成長しないか、あるいは成長を止めてしまいます。自然に共存できるがんなのです。ところが、検診で見つかってしまうと、「がんが見つかった以上、治療しなければ」という流れになってしまいます。

高齢者にとって、手術や抗がん剤治療は大きな負担です。体力が落ちている中での治療は、QOL(生活の質)を著しく低下させます。痛みもなく、普通に生活できていたのに、検診でがんが見つかったために、苦しい治療を受け、かえって早く亡くなってしまう。そんなケースを、中村医師は数多く見てきたのです。

もちろん、これは「すべてのがん検診が無意味だ」という極端な主張ではありません。中村氏が問いかけているのは、**「検診を受けることで、本当に幸せな最期を迎えられるのか」**という本質的な問いです。特に高齢になったら、「何が何でも長生き」ではなく、「残された時間をいかに充実して過ごすか」を優先してもいいのではないか、と。

この主張には賛否があるでしょう。しかし、医療万能主義に疑問を投げかけ、自分の人生をどう終えたいか考えるきっかけを与えてくれる、重要な視点なのです。


延命治療が奪う人間の尊厳

本書で繰り返し語られるのが、延命治療の問題です。中村医師は、多くの延命治療が、本人の意思とは無関係に、家族や医療者の「善意」や「義務感」から行われている現実を指摘します。

特に問題なのが、意識のない患者への胃ろうや人工呼吸器の装着です。本人は何も望んでいないのに、「生きていてほしい」という家族の願いや、「できる治療はすべてやるべき」という医療側の論理で、延命措置が取られます。その結果、何年も意識のないまま、ベッドに横たわり続ける人生の終わり方を強いられることになります。

中村医師は問いかけます。「それは本当に本人のためなのか」と。人間の尊厳とは何か。ただ生物学的に生きていることが尊厳なのか、それとも、その人らしく、意思を持って生きることが尊厳なのか。延命治療は、多くの場合、後者の尊厳を奪ってしまうのです。

また、延命治療は家族にも重い負担を強いります。毎日の面会、高額な医療費、そして何より、「このままでいいのだろうか」という精神的苦痛。回復の見込みがないとわかっていても、治療をやめることへの罪悪感。この苦しみは、時に何年も続きます。

中村医師自身、「私は延命治療を一切受けない」と公言し、リビングウィル(生前の意思表示)を明確にしています。自然に死なせてほしい。その潔さと覚悟が、多くの読者に勇気を与えてくれます。死を恐れ、避けるものとしてではなく、人生の自然な完結として受け入れる姿勢。それこそが、本当の意味での「大往生」なのかもしれません。


ピンピンコロリの理想と現実

「ピンピンコロリ」――元気に生きて、ある日突然コロリと死ぬ。これを理想とする人は多いでしょう。中村医師も、この死に方を最も幸せな最期だと認めています。しかし同時に、現実にはそう簡単にピンピンコロリとはいかないことも正直に語ります。

多くの人は、徐々に衰えていきます。食べる量が減り、動けなくなり、寝たきりになり、そして死を迎える。この過程は、数週間から数ヶ月かかることもあります。しかし、中村医師が伝えたいのは、この過程こそが、自然な死への準備期間だということです。

体が食べ物を受け付けなくなるのは、もう栄養が必要ないというサインです。動けなくなるのは、エネルギーを温存し、穏やかに最期を迎える準備をしているのです。この自然な流れに任せれば、人は苦しむことなく、穏やかに死ねる。ところが、医療が介入して「食べさせよう」「動かそう」「延命しよう」とすると、かえって本人を苦しめる結果になるのです。

中村医師は、ホームで看取った多くの方々の最期を紹介しています。家族が「何もしなくていいんですか?」と不安そうに聞くと、「はい、何もしなくていいんです。お父さん(お母さん)は、今、自然に死に向かっているのですから」と答える。その言葉を聞いて、家族は安堵の表情を見せる。そして実際に、穏やかな最期が訪れる。

「死ぬのは怖い」「できるだけ長生きしたい」という気持ちは、誰にでもあります。しかし、無理に延命することが幸せではないかもしれない。自然に、その人のタイミングで死ねることこそが、実は最大の幸福なのかもしれない。そんな死生観を、本書は静かに、しかし力強く伝えてくれます。


家族と語り合う終末期の選択

中村医師が本書で強く訴えるのが、元気なうちに、自分の最期について家族と話し合っておくことの重要性です。多くの日本人は、死について語ることをタブー視してきました。「縁起でもない」と避けてきた結果、いざその時が来たとき、家族は本人の意思がわからず、苦悩することになります。

特に重要なのが、リビングウィル(生前の意思表示)です。延命治療を望むか望まないか。胃ろうや人工呼吸器はどうするか。どこで最期を迎えたいか。こうしたことを、元気なうちに明確にしておく。できれば文書にして残しておく。それが、自分のためにも、家族のためにも、最良の準備なのです。

中村医師は、自身のリビングウィルを本書で公開しています。「一切の延命治療を拒否する」という明確な意思表示。これは、医師という立場からの覚悟であり、同時に、一人の人間としての生き方の表明でもあります。自分の最期を自分で決める。この主体性こそが、人間の尊厳を守ることにつながるのです。

また、家族側の葛藤についても、中村医師は理解を示しています。「何もしないで見守るだけ」というのは、家族にとって辛い選択です。「もっと何かできたのではないか」という後悔の念も湧くでしょう。しかし、自然な死を見守ることこそが、最大の愛情だと中村氏は説きます。

実際、過剰な医療介入をせず、自然に看取った家族の多くが、「穏やかな最期でした」「苦しまずに逝けて良かった」と語るそうです。逆に、延命治療を続けた家族には、「あれで良かったのだろうか」という後悔が残りがちだと言います。


現代社会での応用・実践

では、『大往生したけりゃ医療とかかわるな』から得た学びを、どう実践すればいいでしょうか。

まず、自分の死生観を明確にすること。どう生きたいか、そしてどう死にたいか。この問いに、今から向き合ってみましょう。答えは人それぞれでいいのです。延命治療を望む人もいれば、自然死を望む人もいる。大切なのは、自分で考え、決めることです。

次に、家族と対話を始めること。「もし自分が意識不明になったら」「もし末期がんになったら」。こうした「もしも」について、家族で率直に話し合ってみてください。最初は気まずいかもしれませんが、一度話し合っておけば、いざというとき、家族も迷わずに済みます。

また、リビングウィルを作成すること。延命治療の希望の有無、臓器提供の意思、葬儀の希望など、自分の意思を文書化しておきましょう。法的拘束力はなくても、家族や医療者にとって重要な指針になります。日本尊厳死協会などの団体も、リビングウィルの作成をサポートしています。

さらに、かかりつけ医を持つこと。信頼できる医師と普段から関係を築いておくことで、終末期の相談もしやすくなります。特に、在宅医療に理解のある医師を見つけておけば、自宅で最期を迎えることも可能になります。

最後に、医療との適切な距離感を保つこと。医療を全否定する必要はありませんが、盲目的に従う必要もありません。検査や治療を勧められたとき、「本当に必要か」「自分の人生にとってプラスか」と立ち止まって考える。この姿勢が、自分らしい最期につながるのです。


どんな方に読んでもらいたいか

『大往生したけりゃ医療とかかわるな』は、年齢を問わず、すべての人に読んでいただきたい一冊です。

特に、自分の親の老いや終末期に直面している40代、50代の方には必読です。親が病気になったとき、延命治療をどうするか。この難しい選択を迫られる前に、本書の視点を知っておくことは大きな助けになります。親の意思を尊重した看取りができるよう、今から準備しておきましょう。

60代以上のご本人にとっては、自分の最期を考えるきっかけになります。「まだ元気だから」と先延ばしにせず、今だからこそ冷静に考えられるのです。自分らしい最期を自分で決める権利を、誰もが持っているのです。

医療従事者の方々にも、ぜひ読んでいただきたい内容です。医療の現場では、「できることはすべてやる」という姿勢が当然とされがちです。しかし、本書は「医療の限界を知り、引き際を見極めることも、医療者の大切な役割だ」と教えてくれます。

若い世代にも、早すぎることはありません。祖父母や親の最期について考えること、そして将来の自分自身の死について想像することは、今をどう生きるかという問いにもつながります。死を意識することで、生がより輝きを増すのです。


関連書籍5冊紹介

死生観や終末期医療について、さらに理解を深めるための関連書籍を紹介します。

1. 『「平穏死」10の条件』(長尾和宏著、ブックマン社)

在宅医療の第一人者が、穏やかな死を迎えるための条件を解説。中村医師の主張と共通する部分が多く、在宅での看取りの実際が具体的にわかります。「胃ろうをしない」「点滴をしない」ことで、かえって穏やかな最期を迎えられる。その実例が豊富に紹介されています。

2. 『死ぬときぐらい好きにさせてよ』(樹木希林著、宝島社)

女優・樹木希林さんが、がんと共に生きながら語った死生観。医療を最小限にし、自分らしく生き抜いた姿は、多くの人に勇気を与えました。**「がんがあっても幸せに生きられる」**というメッセージが心に響きます。

3. 『老いの才覚』(曽野綾子著、ベスト新書)

作家・曽野綾子氏による、老いを肯定的に捉え直す生き方論。医療との付き合い方、死への心構えなど、尊厳を持って老いる知恵が詰まっています。中村医師と同じく、過度な延命を望まない姿勢が語られています。

4. 『「自然死」という最期 看取った医師はなぜ検死医となったのか』(上野正彦著、講談社)

法医学者が、自然死の実態を科学的に解説。中村医師の主張を、法医学の視点から裏付ける内容です。「老衰死は本当に苦しくない」という事実が、解剖所見からも明らかにされています。

5. 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』ではなく『死を前にした人に贈ることば』(大津秀一著、致知出版社)

緩和ケア医が、2000人以上の患者を看取った経験から、死を前にした人に本当に必要な言葉を綴った一冊。後悔しない最期を迎えるために、今何を大切にすべきか。深い洞察が得られます。


まとめ

『大往生したけりゃ医療とかかわるな』は、発売当初、そのタイトルの過激さから物議を醸しました。しかし、内容を読めば、これが医療を全否定する本ではないことがわかります。むしろ、医療の限界を知り、自然な死を受け入れることの大切さを、温かく語った一冊なのです。

中村仁一医師が伝えたかったのは、「死は恐ろしいものではない」というメッセージです。自然に任せれば、人は苦しまずに死ねる。その事実を、数百人の看取りを通して確信した医師の言葉には、重みがあります。

現代医療は、確かに多くの命を救ってきました。しかし同時に、死ぬべきときに死ねないという新たな問題も生み出しました。延命技術の発達が、人間らしい死を奪っているとすれば、それは本当に進歩と言えるのでしょうか。

この本は、私たちに大切な問いを投げかけます。「あなたは、どう死にたいですか」と。その問いは、同時に「あなたは、どう生きたいですか」という問いでもあります。限りある命を、どう使うのか。何を大切にして生きるのか。死と向き合うことは、生と向き合うことなのです。

もしあなたが、死を恐れているなら。もし、親の終末期に悩んでいるなら。もし、自分の最期について考え始めているなら。この本を手に取ってみてください。穏やかな死への道筋が、きっと見えてくるはずです。

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