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玄関に並んだ「家族の靴」当たり前にある日常の幸せ

夫婦と愛犬 日常に潜む愛
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玄関に並んだ家族の靴。大小さまざまなサイズ、履き古されたスニーカー、泥のついた子供靴。その当たり前の風景に、家族と暮らす幸せが詰まっている。日常の中の愛おしさについて考えてみたい。


帰宅して玄関を開けると、そこには家族の靴が並んでいる。父親の革靴、母親のパンプス、子供の小さなスニーカー。2025年の調査によれば、日本では平均的に成人女性は15足から18足、成人男性は10足から12足を持っているという。家族4人なら合計60足以上の靴が玄関周りに存在することになる。靴収納に悩む家庭も多いが、その靴の数だけ、家族の生活がそこにある証拠だ。玄関に靴が並んでいること自体が、家族がいるという幸せなのだと気づく瞬間がある。

日本の玄関文化は独特だ。平安時代の絵巻物を見ると、既に貴族たちは履物を脱いで暮らしていたという。高温多湿な気候のため、床下を作る必要があり、必然的に外と家の中には段差ができた。この段差ゆえに「家に上がる」という表現もされる。家の中は一段高く、大切な場所だと考えられた。そこに「上げ」て、招き入れられるのは特別な人だけであり、大切な場所に土足で入るのは失礼にあたるのだ。靴を脱ぐという行為は、「外とウチ」を明確に区切る結界でもある。だからこそ、玄関に並ぶ靴は「この家に住む人たち」を象徴する存在なのだ。

玄関に並んだ靴を見ると、家族それぞれの一日が想像できる。仕事に行った父親の革靴には、疲れた足跡がある。子供のスニーカーには、校庭で遊んだ泥がついている。母親のパンプスは、いつもきちんと揃えられている。靴は、その人の日常を物語る。どこへ行き、何をしていたのか。靴を見れば、なんとなく分かる。帰宅した時、家族の靴が揃っていると「みんな帰ってきた」と安心する。逆に、靴が少ないと「まだ帰ってないんだな」と分かる。靴は、家族の存在を確認する手段でもある。

興味深いのは、玄関で靴を揃えるという作法だ。訪問先で靴を脱ぐ時は、相手にお尻を向けない体勢で膝を突き、片手で靴を外に向けて揃える。これは日本の美学であり、相手への配慮でもある。家族の靴も、揃えてあると美しい。しかし現実には、子供の靴は脱ぎっぱなし、父親の靴も適当に置かれている。それでも、その散らかった靴さえも愛おしいと感じる瞬間がある。完璧ではない日常、そのままの家族の姿。それが、本当の暮らしだ。

玄関の靴が少なくなる時もある。子供が成長して家を出る、一人暮らしを始める。その時、玄関はすっきりするが、どこか寂しい。「あの子の靴がない」と気づいた瞬間、胸が締め付けられる。靴が並んでいた日常が、どれほど幸せだったか。失って初めて気づく。だからこそ、今玄関に並んでいる家族の靴を、大切に思いたい。当たり前の風景は、実は当たり前ではない。


あなたの玄関には、どんな靴が並んでいますか?その靴を見て、どんな気持ちになりますか?

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