つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」——相田みつをの代表作の冒頭を飾るこの一行。失敗を恐れ、つまづくことを極度に恐れる現代人に、この言葉はどれほどの救いを与えてきただろうか。相田自身、人生で何度もつまづいた。進学の夢を絶たれ、兄たちを戦争で失い、書道界からは認められず、60歳まで無名だった。しかし、つまづいたからこそ、人間の弱さを知り、そこから立ち上がる強さも知った。この言葉は単なる慰めではない。失敗を通じて成長する人間の本質を、シンプルに、しかし深く表現している。なぜつまづいてもいいのか。つまづくことに、どんな意味があるのか。この問いを掘り下げることで、私たちは失敗との新しい向き合い方を見つけられるかもしれない。
つまづくことは「人間である証」
「つまづく」という言葉を聞いて、私たちはすぐに否定的なイメージを抱く。失敗、挫折、敗北——そうした暗い連想が頭をよぎる。しかし相田みつをは、この「つまづく」という行為を、全く別の視点から捉えている。つまづくことは、人間である証だ、と。
人間には限界がある。完璧ではない。全てを知っているわけでもなく、全てができるわけでもない。だから、つまづく。これは当然のことである。むしろ、つまづかない方が不自然だ。つまづくのは、人間が前に進もうとしているからである。立ち止まっていれば、つまづくことはない。しかし、一歩でも前に踏み出せば、石につまづくこともある。
相田は、解説者の言葉を借りれば「人間は失敗する。その能力に限りがあるからである。また、人間は挫折する。夢やあこがれを抱く存在だからである」。この視点は革命的である。失敗や挫折を、能力の欠如や努力不足の結果ではなく、人間の本質的な特性として捉えている。能力に限りがあるから失敗する。夢を持つから挫折する。これは、責められるべきことではなく、むしろ人間らしさの表れなのだ。
また、相田は「つまづいたっていいじゃないか」と言う。「つまづくのは仕方ない」ではなく、「いい」と肯定する。この微妙なニュアンスの違いが重要だ。仕方ないは、消極的な受容である。しかし「いい」は、積極的な肯定である。つまづくことを、悪いことではなく、むしろ人間として自然なこと、場合によっては必要なこととして受け入れている。この肯定が、失敗を恐れる心を解放する。
相田自身のつまづき——兄たちの遺言
相田みつをが「つまづいたっていいじゃないか」と書けたのは、彼自身が人生で何度も大きくつまづいたからである。その中でも、最も深い影響を与えたつまづきは、二人の兄の戦死だろう。
相田には二人の兄がいた。貧しい家庭で、兄たちは進学を諦め、働いて弟の相田を進学させようとした。一人の兄は相田に言った。「どんなに苦しくても卑しいことはするな」。もう一人の兄は言った。「自分の納得する生き方をしてくれよ」。この二つの言葉は、相田の人生を貫く指針となった。しかし、二人とも戦争で命を落とした。
兄たちが自分のために犠牲になったこと。そして、その兄たちが戦死したこと。これは、若き相田にとって計り知れない「つまづき」だった。なぜ自分だけが生き残ったのか。兄たちの期待に応えられるのか。この問いが、相田を苦しめた。しかし同時に、この経験が相田に**「人間の不完全さ」と「それでも生きる意味」**を深く考えさせた。
相田は『三人分』という詩で、兄たちとともに生きる自分を表現している。一人で生きているのではない。兄たちの思いを背負って、三人分を生きている。このつまづき——兄たちを失った喪失——が、相田に命の重さと、生きることの責任を教えた。つまづきは、単なる失敗ではなく、人を深く成長させる契機になり得るのだ。
兄たちの遺言「どんなに苦しくても卑しいことはするな」「自分の納得する生き方をしてくれよ」は、相田が後に書道界の権威に迎合せず、独自の道を歩む原動力となった。つまづきを経験したからこそ、相田は自分の信念を貫けた。つまづきが、相田を強くし、真の自分へと導いたのである。
失敗を恐れる現代社会への静かな抵抗
現代社会は、失敗に対して極めて不寛容である。一度失敗すれば、再起が難しい。SNSでは、少しのミスが激しく批判される。完璧主義が蔓延し、人々は失敗を恐れて萎縮している。挑戦することよりも、失敗しないことが優先される。このような社会の中で、「つまづいたっていいじゃないか」は、静かな抵抗の言葉となる。
相田のこの言葉は、完璧を求める社会に対して「NO」を突きつける。人は完璧ではない。失敗する。それでいい。むしろ、失敗を恐れて何もしないことの方が問題だ。この姿勢は、現代人が忘れかけている大切な価値観を思い出させる。
特に若い世代は、失敗へのプレッシャーが強い。就職活動、恋愛、人間関係——あらゆる場面で「失敗できない」と感じている。一度失敗すれば、取り返しがつかないように思える。しかし相田は言う。つまづいてもいい。それが人間だから。この言葉が、若者たちの肩の力を抜かせる。
また、中高年世代も、キャリアの挫折や人生の方向転換に悩む。「もう若くないから失敗できない」と考えてしまう。しかし相田自身、60歳まで無名だった。そこから認められ始めた。年齢に関係なく、つまづいてもいい。また立ち上がればいい。相田の人生そのものが、この言葉の証明なのである。
つまづきを「学び」に変える視点
「つまづいたっていいじゃないか」という言葉は、単に失敗を許容するだけではない。その先に、つまづきを「学び」に変える視点がある。相田は、つまづくこと自体を肯定するが、同時につまづいた後どうするかも示している。
「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」の後に続く詩を見ると、「くるしいことだってあるさ 人間だもの」「まようときだってあるさ 凡夫だもの」「あやまちだってあるよ おれだもの」と続く。つまづく、苦しむ、迷う、過ちを犯す——これらの全てを肯定している。しかし、これは投げやりな態度ではない。これらを経験することが、人間として成長する過程だと捉えているのだ。
心理学の研究でも、失敗から学ぶことの重要性が指摘されている。成功体験よりも、失敗体験の方が深い学びをもたらすことがある。なぜなら、失敗は自分の限界や課題を明確にするからだ。つまづくことで、自分が何につまづいたのか、なぜつまづいたのかを考える機会が生まれる。この内省が、次の一歩を確かなものにする。
相田自身、書道界で認められなかったという「つまづき」から、独自のスタイルを確立した。伝統的な書道では評価されなかった。しかしそのつまづきが、相田に「自分の道を行く」決意をさせた。つまづきがなければ、相田みつをという独自の表現者は生まれなかっただろう。つまづきは、新しい道を開くきっかけになる。
「また歩き始めればいい」というメッセージ
「つまづいたっていいじゃないか」という言葉の本質は、つまづくことの肯定だけではない。その裏には、「また歩き始めればいい」というメッセージがある。つまづいたら、そこで終わりではない。立ち上がり、また歩けばいい。この希望が、相田の言葉には込められている。
つまづいた後、二つの選択肢がある。そこに倒れたままでいるか、立ち上がるか。相田は「つまづいてもいい」と言うが、「倒れたままでいい」とは言わない。つまづくことは肯定するが、同時に立ち上がることも期待している。この微妙なバランスが、相田の言葉の力である。
立ち上がるのは簡単ではない。つまづいた痛みは大きい。特に大きな失敗の後は、再び立ち上がる勇気が出ない。しかし相田の言葉は、そんな人々に語りかける。にんげんだもの、つまづくのは当たり前。だから、また歩き始めればいい。急がなくていい。ゆっくりでいい。大切なのは、止まらないこと。
相田の別の作品に「一歩一歩だよ 一歩ずつ 歩くんだよ」というものがある。これは「つまづいたっていいじゃないか」と対になる言葉である。つまづいてもいい。でも、また一歩ずつ歩き始めよう。この二つのメッセージが合わさって、相田の人生哲学が完成する。
また、相田は「にんげんだもの」と言うことで、つまづくのは自分だけではないことを示している。誰もがつまづく。誰もが失敗する。この共通性が、孤独感を和らげる。失敗したとき、人は孤立しがちだ。「自分だけがダメなんだ」と思い込む。しかし相田は言う。みんな同じ、にんげんだもの。この言葉が、失敗した人を孤独から救い出す。
つまづきを語る勇気——失敗の共有
「つまづいたっていいじゃないか」という言葉は、もう一つ重要なメッセージを含んでいる。それは、つまづきを語る勇気である。現代社会では、成功は語られるが、失敗は隠される。しかし相田は、つまづきを堂々と語る。それが人間だからだ。
失敗を隠すことは、他の人が同じ失敗から学ぶ機会を奪う。また、失敗を隠すことで、失敗した本人も孤立する。しかし失敗を語り、共有することで、互いに支え合える。「自分もつまづいた」「私も同じだ」——この共感が、人と人をつなぐ。
相田みつをの作品が多くの人に愛されるのは、相田が自分の弱さ、失敗、つまづきを隠さなかったからである。完璧な人間として振る舞うのではなく、不完全な人間として率直に語った。この正直さが、人々の心を開く。自分の弱さを見せる勇気が、他者の弱さも受け入れる優しさを生む。
現代では、SNSで成功や幸せばかりが投稿される。しかし、その裏には多くのつまづきがあるはずだ。もし私たちが、つまづきも含めて語り合えるようになれば、社会はもっと優しくなるだろう。相田の「つまづいたっていいじゃないか」は、失敗を隠す文化から、失敗を共有する文化への転換を促している。
失敗を語ることは、弱さを見せることではない。むしろ、人間としての強さを示すことである。完璧なフリをして生きることの方が、よほど弱い。つまづきを認め、語り、そしてまた歩き始める——この姿こそが、本当の強さなのだと、相田は教えてくれる。
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カテゴリー「生い立ちと人生」より
第1話:相田みつを故郷足利が育んだ詩人の感性 織物の街の職人気質、渡良瀬川の流れ、下町の人情——足利という土地が、相田の感性の土台を作りました。
第2話:貧困が育んだ相田みつをの共感哲学 物質的には何も持たなかった少年時代。その貧しさが、本質を見抜く目と深い共感力を育てました。
第3話:両親から受け継いだ相田みつをの人間観 誠実に働く父、工夫と感謝を教えた母。生き方で示した両親の教えが、相田の人間観の原点です。
第4話:兄弟の絆が育てた相田みつをの命の哲学 戦争で失った兄たちへの思いが、「いのち」への深い畏敬を育みました。「どんなに苦しくても卑しいことはするな」という兄の遺言が、相田の生き方を支えました。
第5話:戦争が刻んだ相田みつをの生死観 死と隣り合わせの日々を生き抜いた経験が、「生きていること」の奇跡を教えました。
第6話:師・武井哲応との運命的な出会い 「下の句は要らんなあ」——この一言が、相田の人生を変え、独自のスタイルを生み出しました。

