「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」——この対句は、相田みつをの作品の中でも特に深い洞察を含んでいる。2011年、東日本大震災後の買い占め騒動が起きたとき、この言葉がネット上で拡散され、多くの人の心を動かした。物理的には同じ量でも、奪い合えば誰もが不足を感じ、分け合えば皆が満たされる——この逆説的な真理は、単なる精神論ではない。仏教の「自利利他」の思想を、誰にでも分かる言葉で表現したものだ。自分だけが得ようとする「我利我利」の心は地獄を生み、共に幸せになろうとする心は極楽を生む。阪神・淡路大震災、中越地震、そして東日本大震災——災害のたびに人々がこの言葉に救われてきた。なぜこの言葉は、人の心を動かし続けるのか。その深層を探る。
災害が照らし出した「分かち合い」の力
2011年3月11日、東日本大震災。未曾有の災害の後、東京では買い占め騒動が起きた。スーパーやコンビニから、水、食料、電池などが消えた。人々は不安に駆られ、必要以上に買い込んだ。その結果、本当に必要としている人の手に物が届かなくなった。奪い合えば足らぬ——まさにこの状況だった。
そんな中、SNSで相田みつをの言葉が広まった。「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」。この言葉を見た人々は、はっとした。今自分がしていることは、まさに「奪い合い」ではないか。この言葉をきっかけに、多くの人が行動を変えた。必要な分だけ買う。隣の人のことも考える。困っている人に譲る。こうした小さな「分かち合い」が、少しずつ広がっていった。
実際、被災地の避難所では、この「分かち合い」の精神が色濃く見られた。限られた食料や水を、皆で公平に分ける。高齢者や子どもを優先する。自分の分を削ってでも、困っている人を助ける。こうした行動が、絶望的な状況の中でも、人々の心を支えた。物質的には足りなくても、心は満たされた。「わけ合えばあまる」の真実がそこにあった。
阪神・淡路大震災、中越地震でも、同様の現象が起きた。災害という極限状態が、人間の本質を照らし出す。奪い合うのか、分け合うのか。この選択が、地獄と極楽を分ける。相田みつをのこの言葉が、災害のたびに人々に想起されるのは、それが単なる理想論ではなく、実践可能な生き方の指針だからである。
仏教の「自利利他」——地獄と極楽の分かれ道
相田みつをの「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」は、仏教の「自利利他」の思想を見事に表現している。自利利他とは、自分の利益と他者の利益が一つであるという考え方だ。他者を幸せにすることが、そのまま自分の幸せになる。逆に、自分だけが得ようとする「我利我利」の心は、結局自分も他者も不幸にする。
仏教では、「奪う心」を餓鬼や地獄の心と教える。どれだけ持っても満足せず、常に飢えている。これが餓鬼である。そして、奪い合いは争いを生み、憎しみを生み、不満を生み、最終的には戦争という地獄を生む。相田の詩にも、こう続く。「うばい合えばあらそい わけ合えばやすらぎ うばい合えばにくしみ わけ合えばよろこび うばい合えば不満 わけ合えば感謝 うばい合えば戦争 わけ合えば平和 うばい合えば地獄 わけ合えば極楽」。
この対比は、極めて明確である。奪うことは、連鎖的に負の結果を生む。争い、憎しみ、不満、戦争、地獄。一方、分けることは、連鎖的に正の結果を生む。やすらぎ、よろこび、感謝、平和、極楽。同じ物質でも、心の持ち方一つで、天国にも地獄にもなる。これが仏教の教えであり、相田みつをが伝えようとした真理である。
また、仏教では「小欲知足」という教えがある。欲を小さくし、足ることを知る。今あるもので満足する心。この心があれば、「分け合えば余る」となる。逆に、貪欲な心があれば、どれだけ持っても「足らぬ、足らぬ」となる。資源は有限だが、満足は心がけ次第で無限になる。相田の言葉は、この深い仏教哲学を、誰にでも理解できる形で提示している。
「分け合う」は「与え合う」ではない——対等な関係性
相田みつをが「与え合う」ではなく「分け合う」と表現したことには、深い意味がある。「与える」という言葉には、どこか上下関係のニュアンスがある。持っている者が、持たざる者に与える。この構図には、優越感や見下しが潜んでいる可能性がある。
しかし「分け合う」は違う。「分ける」は対等な関係を前提とする。私にも、あなたにも、必要だ。だから、一緒に分けよう。この姿勢には、上下関係がない。共有関係、共生関係である。相田がこの言葉を選んだのは、人間関係における真の平等を表現するためだったのではないか。
現代社会では、「支援」「援助」「寄付」といった言葉が使われる。これらは必要な行為だが、時に上下関係を固定化してしまう。支援する側と、される側。しかし相田の「分け合い」には、この区別がない。誰もが「分ける」側であり、「分けられる」側でもある。今日は私が分け、明日はあなたが分ける。この相互性が、真の共生を可能にする。
また、「分け合う」には、「共に持つ」という意味もある。独占ではなく、共有。所有ではなく、分有。この考え方は、現代の「シェアリングエコノミー」とも通じる。しかし相田が40年以上前にこの言葉を書いたとき、シェアという概念はまだ一般的ではなかった。時代を先取りした洞察と言える。
物質的豊かさと精神的豊かさの逆説
「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」という言葉には、重要な逆説が含まれている。物質的には同じ量なのに、心の持ち方で「足らぬ」にも「あまる」にもなる。これは、物質的豊かさと精神的豊かさは別物だという真理を示している。
奪い合えば、物質的には手元に多くが残るかもしれない。しかし心は満たされない。「もっと欲しい」「まだ足りない」という飢餓感が残る。そして、奪ったことへの罪悪感、他者からの恨みや批判、孤立感——これらが心を蝕む。結果として、精神的には貧しくなる。物質は増えても、心は満たされない。
一方、分け合えば、物質的には手元に少ないかもしれない。しかし心は豊かになる。「誰かの役に立てた」という充足感、「共に生きている」という安心感、他者からの感謝や信頼——これらが心を満たす。結果として、精神的には豊かになる。物質は少なくても、心は満たされる。
現代社会は、物質的豊かさを追求する。より多く、より良く、より早く。しかし、物質が豊かになっても、幸福度は必ずしも上がらない。なぜか。それは、精神的豊かさが置き去りにされているからだ。相田の言葉は、この問題の核心を突いている。本当の豊かさは、物の量ではなく、心の持ち方にある。
「足りている」という感覚——小欲知足の実践
「わけ合えばあまる」という言葉は、「足りている」という感覚の重要性を教えている。現代人は常に「足りない」と感じている。お金が足りない、時間が足りない、能力が足りない。この「足りない」という感覚が、人を駆り立て、疲弊させる。
しかし本当に足りないのか。多くの場合、実は足りている。しかし、他人と比較したり、理想を高く設定しすぎたりすることで、「足りない」と感じてしまう。仏教の「小欲知足」は、この問題への答えである。欲を小さくし、今あるもので満足する。「足りている」と感じることが、真の豊かさなのだ。
相田みつをが「わけ合えばあまる」と言うとき、それは物理的に余るという意味だけではない。むしろ、分け合うという行為が、「足りている」という感覚を生み出すという意味である。独り占めしているとき、人は不安だ。「これで足りるか」「もっと必要かも」と。しかし、分け合うとき、人は安心する。「皆で分ければ大丈夫」「困ったときはお互い様」と。
この「足りている」という感覚が、心の余裕を生む。余裕があれば、他者にも優しくなれる。そして、他者に優しくすることで、さらに心が満たされる。この好循環が、「わけ合えばあまる」の実態である。**物質的な余剰ではなく、心の余裕が「あまる」**のである。
信頼関係が生む「分かち合い」の循環
「分け合う」ことが成立するには、信頼関係が不可欠である。信頼がなければ、人は分け合えない。「自分が分けても、相手は分けてくれないかもしれない」という不安が、奪い合いを生む。しかし、信頼があれば、安心して分け合える。「困ったときはお互い様」という相互信頼が、分かち合いの基盤となる。
災害時に「分かち合い」が自然に起こるのは、この信頼関係が強まるからである。極限状態では、人々は互いに助け合わなければ生き延びられない。この共通理解が、信頼を生む。そして信頼が、分かち合いを生む。分かち合いが、さらに信頼を深める。この好循環が、被災地での「絆」を生み出す。
しかし、日常生活でも、この循環は作れる。小さな分かち合いから始めればいい。隣人と挨拶を交わす。困っている人に声をかける。余っているものをおすそ分けする。こうした小さな行為が、信頼関係を育てる。そして信頼関係が、さらなる分かち合いを可能にする。
現代社会は、この信頼関係が希薄になっている。都市化、核家族化、個人主義——これらが、人と人の距離を広げた。その結果、「分かち合い」よりも「奪い合い」の構図が強まった。相田の言葉は、この流れへの警鐘でもある。信頼関係を再構築し、分かち合いの文化を取り戻す——これが現代社会の課題である。
「分かち合い」が開く新しい社会像
「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」という言葉は、新しい社会像を提示している。競争社会から共生社会へ。独占から共有へ。我利我利から自利利他へ。この転換が、持続可能な社会を作る鍵となる。
競争社会は、限界に来ている。経済成長は鈍化し、格差は拡大し、環境は破壊されている。「もっと、もっと」という奪い合いの論理が、地球を疲弊させた。今、必要なのは、「足りている」という感覚と、「分かち合い」という実践である。
シェアリングエコノミー、循環型経済、協同組合——これらの動きは、相田の「分かち合い」の思想と共鳴する。所有ではなく利用、独占ではなく共有、競争ではなく協力。こうした価値観の転換が、世界中で始まっている。相田みつをの言葉は、この新しい潮流を、40年以上前に先取りしていた。
また、「分かち合い」は、個人の幸福にもつながる。心理学の研究でも、他者への貢献が幸福感を高めることが示されている。自分だけのために生きるよりも、誰かのために生きる方が、幸せを感じやすい。「わけ合えばあまる」は、個人の幸福と社会の持続可能性を両立させる道なのである。
今こそ実践すべき「分かち合い」の生き方
相田みつをの「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」は、今こそ実践すべきメッセージである。コロナ禍、気候変動、格差問題——現代社会が直面する課題の多くは、「奪い合い」の結果である。この流れを変えるには、一人ひとりが「分かち合い」を実践するしかない。
実践は、小さなことから始められる。隣人と挨拶する。余った食材を分ける。困っている人に手を貸す。知識やスキルをシェアする。こうした日常の小さな行為が、「分かち合い」の文化を育てる。そして、その積み重ねが、社会を変えていく。
「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」——この言葉を、心に刻もう。そして、日々の選択の中で、問いかけよう。今、自分は奪おうとしているのか、分け合おうとしているのか。この問いが、行動を変え、心を変え、そして社会を変えていく。
相田みつをが遺したこの言葉は、単なる美しい詩ではない。生き方の指針であり、社会変革の種である。この言葉を実践する人が増えれば、世界は確実に変わる。地獄から極楽へ。戦争から平和へ。憎しみから喜びへ。その転換の鍵は、私たち一人ひとりの手の中にある。
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