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第10話 禅思想が貫く相田作品の世界観

園児 2.名言・哲学・作品世界
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相田みつをの作品の根底には、禅思想が深く流れている。18歳で師・武井哲応と出会い、40年以上に渡って禅を学び続けた相田。特に道元禅師の『正法眼蔵』の講義には32年間で332回参加し、まるで苦行僧のような雰囲気で必死に聴講していたという。講義の1週間前から食事や睡眠など体調を整え、ベストな状態で臨む。そして帰宅後は家族に1時間半も講義内容を話して聞かせ、アトリエで学びを作品に昇華させる——この徹底した学びの姿勢が、相田の作品に深い思想性を与えた。「にんげんだもの」「いま生きているということ」「一歩一歩だよ」——これらの平易な言葉の背後には、禅の「只管打坐」「前後際断」「身心脱落」といった深遠な思想がある。難解な禅語を使わずに禅の本質を伝える——この翻訳能力こそが、相田みつをの天才性である。禅思想が相田作品にどう息づいているのか、その世界観を探る。


『正法眼蔵』との40年——苦行僧のような学びの姿勢

相田みつをと禅の出会いは、18歳のときだった。1942年秋、短歌の会で曹洞宗高福寺の武井哲応老師と出会い、その日から高福寺に通い始めた。武井老師は1930年から道元禅師の『正法眼蔵』の講義を始め、毎週土曜日、32年間で332回に及ぶ講義を行った。相田は、ほぼ皆勤でこの講義に参加し続けた。

相田の息子・一人氏は回想する。「父の講義を聴く姿は、まるで苦行僧のような雰囲気で、もう必死に聴いていました」。武井老師の息子・全補和尚も語る。「相田みつをさんの『正法眼蔵』は、書き込みなどでボロボロになっていました。後で聞くと、講義中の書き込みを家に帰って清書していたそうです」。

さらに驚くべきことに、相田は講義の1週間前から、食事や睡眠など体調を整え、ベストな状態で講義に臨むようにしていた。講義を聴くことは、相田にとって単なる勉強ではなかった。それは、命をかけた修行だった。一言も聞き漏らすまいとする真剣さ。師の言葉を、自分の魂に刻み込もうとする必死さ。この姿勢が、40年以上続いた。

そして講義が終わると、相田は家に帰り、家族を集めて一時間半ほど講義の内容を話して聞かせた。これは自分の理解を深めるためでもあった。人に説明することで、学びは定着する。そしてアトリエに入り、学んだことを咀嚼し、自分の作品に落とし込んでいく。聞く、話す、書く——この三つのサイクルが、相田の学びを深めていった。


「只管打坐」——ただひたすら、目的なく

禅の核心は「只管打坐(しかんたざ)」にある。道元禅師が説いたこの思想は、ただひたすら座るという意味である。悟りを得るために座るのではない。何かを達成するために座るのではない。ただ、座る。この「目的なき行為」が、禅の本質である。

相田みつをの「一歩一歩だよ 一歩ずつ 歩くんだよ」という言葉は、この只管打坐の精神そのものである。遠い目標のために歩くのではない。ただ、今この一歩を歩く。この一歩そのものが目的である。プロセスと結果が一つになる——これが禅の教えであり、相田の哲学である。

現代社会は、常に「何のために」と問う。目的がなければ、意味がないと思われている。しかし禅は、この「目的主義」を否定する。座ることそれ自体に意味がある。歩くことそれ自体に価値がある。「ただ〜する」という純粋な行為が、禅の実践である。

相田の作品にも、この「ただ」の精神が流れている。「ただいま」「ただありがとう」「ただ生きている」。この「ただ」は、単なる副詞ではない。それは、余計なものを削ぎ落とした、純粋な状態を意味する。目的も、見返りも、計算もない。ただ、そうである。この境地が、相田の言葉に静かな力を与えている。


「前後際断」——過去も未来も断ち切り、今を生きる

禅のもう一つの重要な思想が「前後際断(ぜんごさいだん)」である。前(過去)と後(未来)を断ち切り、今この瞬間に集中する。過去への執着、未来への不安——これらを断ち切り、今ここに全存在を注ぐ。これが禅の時間観である。

相田みつをの「生きているということ いま生きているということ」という作品は、まさにこの前後際断を表現している。過去でもなく、未来でもなく、いま、この瞬間に生きている。この「いま」への集中が、命を実感させる。のどが渇く、木漏れ日がまぶしい——この今の感覚こそが、生きている証である。

また、「人生において 最も大切な時それはいつでも いまです」という言葉も、前後際断の思想そのものである。最も大切な時は、過去でも未来でもない。いつでも、今である。この真理を、相田は平易な言葉で伝えた。

現代人は、過去の後悔と未来の不安に囚われている。「あのときああしておけば」「これからどうしよう」——心は常に、今ここにない。しかし禅は教える。過去は変えられない。未来は分からない。確かに存在するのは、今だけである。だから、今を生きよ。この教えが、相田の作品に息づいている。


「身心脱落」——自我を手放す

道元禅師の『正法眼蔵』の核心的な思想の一つが「身心脱落(しんじんだつらく)」である。身も心も脱ぎ捨てる、という意味である。自我への執着、身体への執着——これらを全て手放したとき、真の自由が訪れる。これが禅の悟りである。

相田みつをの「そのままでいい」という言葉には、この身心脱落の思想が込められている。「もっと良くなろう」「理想の自分になろう」——こうした自我の欲求を手放す。身も心も、そのままでいい。変えようとする執着を手放す。この手放しが、逆説的に、本当の自分を取り戻させる。

また、「『俺が』『俺が』を捨てて『おかげさまで』『おかげさまで』と暮らしたい」という言葉も、自我の脱落を説いている。「俺が」という自我の主張を捨てる。すると、見えてくる。**自分一人では何もできない。全ては「おかげさま」**である。この自覚が、自我からの解放をもたらす。

禅では、自我は苦しみの源とされる。「自分が、自分が」と執着するから、苦しむ。他人と比較し、劣等感を持ち、承認を求める。しかし自我を手放せば、これらの苦しみから解放される。相田の言葉が持つ癒しの力は、この自我からの解放を促すからである。


「不立文字」——言葉を超えた真理

禅には「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉がある。真理は言葉では伝えられない、という意味である。言葉は概念であり、真理は体験である。概念では、体験は伝わらない。だから禅は、言葉を超えた直接体験を重視する。

しかし同時に、禅は言葉を使う。道元禅師も『正法眼蔵』という膨大な言葉を残した。これは矛盾ではない。言葉では伝えられないが、言葉を使わないと何も伝えられない。だから、言葉を使いながら、言葉を超える。これが禅の言語観である。

相田みつをの言葉も、この矛盾を体現している。平易な言葉を使いながら、言葉を超えた何かを伝える。「にんげんだもの」という七文字は、単なる言葉ではない。それは、**読む者の心に直接響く「何か」**を含んでいる。立松和平が「なにかが残る」と評したのは、この言葉を超えた何かである。

相田の書も、この不立文字の精神を体現している。書は、文字でありながら、文字を超える。線の太さ、墨の濃淡、余白——これらが、言葉では伝えられない何かを伝える。視覚を通じて、言葉を超えた真理が心に届く。これが、相田の書と詩の融合の本質である。


「平常心是道」——日常こそが悟り

禅の有名な言葉に「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」がある。特別な状態ではなく、日常の心こそが悟りである、という意味である。神秘的な体験を求める必要はない。ただ、日常を丁寧に生きる。これが禅の道である。

相田みつをの作品の多くが、日常を題材としている。のどが渇く、木漏れ日がまぶしい、一歩ずつ歩く、つまづく——全て、日常の出来事である。しかし相田は、この日常の中に深い真理を見出す。特別なことは何もない。ただ、日常を丁寧に見つめる。すると、そこに悟りがある。

「毎日毎日の足跡が おのずから人生の答えを出す きれいな足跡には きれいな水がたまる」——この言葉は、平常心是道の実践である。特別なことをしなくていい。毎日の足跡、つまり日常の行いが、人生を作る。この日常への信頼が、禅の教えである。

現代人は、日常を軽視しがちである。特別な体験、非日常を求める。しかし禅は教える。日常こそが、全てである。朝起きる、顔を洗う、ご飯を食べる、仕事をする、眠る——この繰り返しの中に、人生の全てがある。相田の作品は、この日常の尊さを思い出させてくれる。


「縁起」——すべては関係の中に

仏教の根本思想の一つが「縁起」である。すべてのものは、相互に関係し合って存在している。単独で存在するものは何もない。すべては「縁」によって「起こる」。これが縁起である。

相田みつをの「おかげさま」の思想は、この縁起思想そのものである。自分一人でできることは何もない。すべては、他者との関係、自然との関係、過去との関係の中で成り立っている。相田はこう解説している。「つまり、すべての物事は、いろいろなものと関係し合ってできる。『持ちつ持たれつ』なんです。それを縁起というんです」。

また、「いのちのバトン」の思想も、縁起である。自分の命は、無数の先祖たちとの関係の中にある。過去から現在、現在から未来へと、命は関係の中でつながっている。この関係性の自覚が、感謝を生み、謙虚さを生む。

縁起思想は、孤立ではなく共生を説く。すべてがつながっているなら、他者を傷つけることは自分を傷つけることである。他者を幸せにすることは、自分を幸せにすることである。「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」という相田の言葉は、この相互依存の真理を表現している。


禅を「翻訳」する天才——難解を平易に

禅は難解である。『正法眼蔵』も、専門家でさえ理解が困難とされる。しかし相田みつをは、この難解な禅思想を、誰もが理解できる言葉に翻訳した。これが、相田の最大の才能である。

作家・立松和平は相田を「思想の語り部」と評し、こう述べた。「難しい言葉を一つも語らないで、仏教の根本的な哲理のようなものを語ってしまう」。この翻訳能力は、どこから来たのか。それは、40年以上に渡る徹底した学びと、自分の人生での実践である。

相田は、禅を頭で理解しただけではなかった。生きて、体験した。貧困、戦争、喪失、孤立——これらの苦難を通じて、禅の教えを体で理解した。だから、相田の言葉には実感がある。借り物ではなく、自分の体験から生まれた言葉である。

また、相田は「伝える」ことを常に意識していた。講義を聴いた後、家族に話して聞かせる。この行為が、相田に「どう伝えるか」を考えさせた。専門用語を使わず、誰もが分かる言葉で。難解な概念を、日常の例で。この伝える努力が、相田の翻訳能力を磨いたのである。


現代に生きる禅思想——相田作品を通じて

相田みつをの作品は、現代人にとって禅への入り口となっている。『正法眼蔵』を直接読むのは困難である。しかし相田の作品を読めば、禅の本質に触れられる。これは、現代における禅の普及に大きく貢献している。

特に、禅の実践的な側面——今を生きる、自我を手放す、日常を大切にする——が、相田の作品を通じて広まっている。マインドフルネス、ミニマリズム、スローライフ——こうした現代の潮流は、実は禅思想と深く関わっている。そして相田の作品は、これらの潮流を言葉にして具体化している

また、相田の作品は、宗教の枠を超えている。仏教徒でなくても、禅に興味がなくても、相田の言葉は心に響く。これは、相田が宗教用語を使わず、普遍的な人間の問題を扱っているからである。生きること、苦しみ、喜び、つながり——これらは、すべての人に共通する問題である。

相田みつをという一人の書家・詩人が、40年以上かけて禅を学び、それを平易な言葉と独特の書で表現した。この営みが、現代に禅思想を生き生きと伝え続けている。相田の作品は、古代の智慧と現代の心をつなぐ橋なのである。


今日から実践する「禅的生き方」——相田作品を手がかりに

相田みつをの作品を読み、禅思想に触れたなら、次は実践である。以下の方法で、日常に禅を取り入れてみよう。

1. 今に集中する: スマホを置き、目の前のことに集中する。食事なら食事、歩くなら歩く、人と話すなら話す。ただ、それだけをする

2. 一歩ずつ歩く: 遠い目標を気にしすぎない。今日できること、今この瞬間できることに集中する。一歩ずつでいい。

3. 「おかげさま」を口にする: 日常の中で、感謝を言葉にする。水を飲むとき、食事をするとき、「おかげさま」と心の中で言う。

4. 自我を手放す: 「俺が」「私が」という主張を減らす。比較をやめ、そのままの自分でいる。

5. 日常を丁寧に: 特別なことを求めない。日常の一つ一つを、丁寧に行う。この積み重ねが、人生を豊かにする。

これらは、禅の実践であり、同時に相田みつをの生き方である。難しい座禅をしなくても、お寺に行かなくても、日常の中で禅は実践できる。相田の作品を読み、その言葉を心に刻み、そして日々の暮らしの中で実践する。これが、現代における禅の生き方である。


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