2018年度から小学校で、2019年度から中学校で、道徳が「特別の教科」として教科化された。いじめ問題への対応、自己肯定感の低さ、他者との関わり方——現代の子どもたちが直面する課題に、道徳教育で向き合うことが求められている。この道徳教育の現場で、相田みつをの言葉が重要な教材として活用されている。「にんげんだもの」は不完全さの受容を教え、「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」は共生の大切さを伝え、「一歩一歩だよ」は努力の意味を示す。平易な言葉でありながら深い哲学を含む相田の作品は、子どもたちの心に直接響く。教科書に採用され、副読本で紹介され、教室に掲示される——相田の言葉は、今日も全国の教室で、子どもたちの成長を支えている。なぜ相田みつをの教えは、教育現場で有効なのか。その理由と実践例を探る。
道徳教育の教材として——教科書への採用
道徳が教科化されたことで、検定教科書が使用されるようになった。そして複数の教科書出版社が、相田みつをの作品を教材として採用している。なぜ相田の作品が選ばれるのか。それは、道徳教育が目指す目標と、相田の作品が完璧に一致するからである。
文部科学省の学習指導要領では、道徳教育の内容項目として「個性の伸長」「相互理解、寛容」「公正、公平、社会正義」などが挙げられている。相田の「にんげんだもの」は「個性の伸長」と「寛容」を教える。「そのままでいい」は「個性の伸長」を促す。「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」は「公正、公平」と「よりよく生きる喜び」につながる。
また、道徳教育は「考え、議論する道徳」への転換が求められている。相田の作品は、この「考える」材料として優れている。「つまづいたっていいじゃないか」を読んで、子どもたちは問う。「なぜつまづいてもいいのか」「自分はどう思うか」。この問いが、議論を生み、深い思考を促す。
さらに、相田の作品は短い。小学生でも読める。視覚的にも美しい。これらの特性が、教材として使いやすい。授業の導入に使う、まとめに使う、掲示物にする——様々な場面で活用できる。汎用性の高さが、教科書採用の理由である。
いじめ防止教育での活用——「にんげんだもの」が教える寛容
道徳教育が教科化された最大の理由は、いじめ問題への対応である。年間54万件以上認知されるいじめ。その根本的な解決には、子どもたちの道徳性を育てることが不可欠とされる。そしてこのいじめ防止教育で、相田みつをの言葉が力を発揮している。
いじめの背景には、不寛容がある。他人と違うことを許せない。失敗を笑う。弱さを攻撃する。この不寛容が、いじめを生む。相田の「にんげんだもの」は、この不寛容への強力なアンチテーゼである。
「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」——この言葉を読んで、子どもたちは学ぶ。人間は不完全である。失敗する。それは当たり前だ。だから、他人が失敗しても、笑ってはいけない。自分も同じ人間なのだから。この「同じ人間」という認識が、いじめを防ぐ。
ある小学校では、「にんげんだもの」を学級目標にした。子どもたちが何か失敗したとき、クラスメイトが「にんげんだもの」と声をかける。この言葉が、失敗を許し、受け入れる雰囲気を作った。その結果、いじめが減少したという。相田の言葉が、学級の文化を変えた例である。
また、相田の「そのままでいい」は、自己肯定感を育てる。自己肯定感の低い子どもは、いじめの被害者にも加害者にもなりやすい。「そのままでいい」という無条件の肯定が、子どもたちの心を強くする。自分を肯定できる子どもは、他者も肯定できる。
自己肯定感の育成——「そのままでいい」の力
日本の子どもたちの自己肯定感は、国際的に見ても著しく低い。内閣府の調査でも、日本の若者の自己肯定感は他国と比べて低いことが示されている。この問題に、教育現場は取り組まなければならない。そして相田みつをの「そのままでいい」が、自己肯定感育成の鍵となっている。
現代の教育は、評価の連続である。テストの点数、通知表の成績、順位——常に評価され、比較される。この環境では、自己肯定感は育ちにくい。「できない自分はダメだ」という思い込みが強化される。
しかし相田の「そのままでいい」は、この評価文化に抵抗する。何かができるから価値があるのではない。何かを持っているから価値があるのではない。ただ、そこにいるだけで価値がある。この無条件の肯定が、子どもたちの心を楽にする。
ある中学校の道徳の授業で、「そのままでいい」を扱った。生徒たちに感想を書かせると、多くの生徒が涙を流しながら書いたという。「初めて自分を認められた気がした」「もっと頑張らなきゃと思っていたけど、そのままでいいと言われて楽になった」——こうした感想が寄せられた。相田の言葉が、子どもたちの重荷を降ろした瞬間である。
また、特別支援教育でも相田の言葉は有効である。発達障害や学習障害を持つ子どもたちは、「できない自分」に苦しむ。しかし「そのままでいい」という言葉が、その苦しみを和らげる。ある特別支援学級の教室には、大きく「そのままでいい」と書かれた相田の書が掲示されている。毎日この言葉を見ることが、子どもたちの心の支えになっている。
人間関係教育での実践——「分かち合い」と「おかげさま」
現代の子どもたちは、人間関係の構築に苦労している。コミュニケーション能力の低下、協調性の欠如、孤立——これらの問題に、教育現場は直面している。相田みつをの「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」と「おかげさま」の思想が、人間関係教育の核心となっている。
「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」は、競争ではなく協力を教える。現代社会は競争社会である。子どもたちも、幼い頃から競争を強いられる。しかしこの競争が、人間関係を悪化させる。相手を蹴落とし、自分だけが勝つ——この思考が、孤立を生む。
相田の言葉は、別の道を示す。奪い合いではなく、分け合い。競争ではなく、共生。ある小学校では、この言葉を使って「分かち合い給食」という活動を始めた。自分の好きなものを、友達と分け合う。この小さな実践が、クラスの雰囲気を温かくした。
また、「おかげさま」の思想は、感謝の心を育てる。現代の子どもたちは、「当たり前」だと思うことが多い。ご飯が食べられること、学校に行けること、友達がいること——これらを「おかげさま」と感じる心が欠けている。
ある中学校では、道徳の授業で「おかげさま」を扱い、その後、生徒たちに「おかげさま日記」をつけさせた。毎日、誰に、何に「おかげさま」と感じたかを書く。この実践が、生徒たちの人間関係を改善した。感謝の心が、つながりを深めたのである。
努力と成長を教える——「一歩一歩だよ」の実践
現代の子どもたちは、即効性を求める。ゲームやSNSの影響で、すぐに結果が出ることに慣れている。しかし、本当の成長には時間がかかる。地道な努力の積み重ねが必要である。相田みつをの「一歩一歩だよ 一歩ずつ 歩くんだよ」という言葉が、努力の意味を教える教材として活用されている。
ある小学校では、「一歩一歩カード」という取り組みを始めた。子どもたちが、毎日の小さな努力を記録するカードである。漢字を5個覚えた、本を1ページ読んだ、友達に優しくした——小さなことでいい。この記録が、一歩一歩の積み重ねを可視化する。
また、相田の「毎日毎日の足跡が おのずから人生の答えを出す きれいな足跡には きれいな水がたまる」という作品も、教材として使われる。この言葉は、プロセスの大切さを教える。結果だけでなく、日々の歩み方が重要だという真理を、子どもたちに伝える。
特に、学習に困難を抱える子どもたちに、この言葉は有効である。他の子と比べて進度が遅い。テストの点数が低い。こうした子どもたちは、自信を失いがちである。しかし「一歩一歩でいい」という言葉が、彼らを励ます。自分のペースでいい。比較しなくていい。この安心感が、学習意欲を取り戻させる。
教室掲示と環境づくり——日常に溶け込む言葉
相田みつをの言葉は、授業で扱うだけでなく、教室に掲示されることも多い。教室の壁、廊下、図書室——様々な場所に、相田の書が飾られている。なぜか。それは、毎日目にすることで、言葉が心に染み込むからである。
ある中学校の教室には、「にんげんだもの」の書が掲示されている。生徒たちは毎日、この言葉を見る。最初は何とも思わなかった生徒も、何度も見るうちに、心に残る。そしてある日、失敗して落ち込んだとき、ふとこの言葉を思い出す。「にんげんだもの」——そうだ、失敗してもいいんだ。この瞬間に、言葉が生きる。
また、相田の書は視覚的に美しい。手書きの温かさ、墨の濃淡、文字の力強さ——これらが、教室の雰囲気を変える。無機質な教室が、相田の書によって、温かく、人間的な空間になる。この環境が、子どもたちの心を和らげる。
さらに、掲示物は保護者にも影響を与える。保護者が教室を訪れたとき、相田の言葉を目にする。そして家庭でも、その言葉について子どもと話す。学校と家庭をつなぐ媒介としても、相田の言葉は機能している。
教員研修での活用——先生自身の成長
相田みつをの言葉は、子どもたちだけでなく、教員自身の成長にも役立っている。教員研修で相田の作品が紹介され、先生たちが自分自身を見つめ直す機会となっている。
教員は、常に完璧であることを求められる。保護者、管理職、社会——様々なプレッシャーの中で、疲弊している教員は多い。そんな教員たちに、「にんげんだもの」「そのままでいい」という言葉が、救いとなる。
ある教員研修で、「そのままでいい」を扱った。参加した先生の一人は語る。「いつも完璧な授業をしなければと思っていた。でもこの言葉を読んで、肩の力が抜けた。完璧でなくてもいい。生徒と共に成長すればいい」。先生自身が楽になることで、生徒にも優しくなれる。
また、相田の「おかげさま」の思想は、教員のチームワークを向上させる。教員は孤立しがちである。しかし「おかげさま」という視点を持てば、同僚への感謝が生まれる。この感謝が、職場の雰囲気を良くする。教員が協力し合える環境が、子どもたちにも良い影響を与える。
家庭教育との連携——親子で読む相田みつを
教育は、学校だけでは完結しない。家庭教育との連携が不可欠である。相田みつをの言葉は、学校と家庭をつなぐ架け橋となっている。
ある小学校では、夏休みの宿題に「親子で相田みつをを読む」という課題を出した。親子で一つの作品を選び、それについて話し合い、感想を書く。この取り組みが、親子のコミュニケーションを深めた。
相田の言葉は、世代を超える。親世代も、祖父母世代も、相田を知っている人は多い。だから、共通の話題になる。「にんげんだもの」を読んで、親が自分の失敗談を子どもに話す。子どもが「お母さんもつまづいたんだね」と安心する。この共感が、親子の絆を強める。
また、相田の言葉は、子育てに悩む親への処方箋でもある。「もっと良い親にならなければ」というプレッシャーに苦しむ親に、「そのままでいい」という言葉が救いとなる。完璧な親である必要はない。「にんげんだもの」——親も不完全でいい。この許可が、親を楽にし、結果的に子どもにも良い影響を与える。
未来を担う子どもたちへ——相田の言葉が育むもの
相田みつをの言葉が、教育現場で活用され続ける理由——それは、言葉が子どもたちの人生の土台を作るからである。知識や技能は大切である。しかしそれ以上に大切なのは、生きる力、人と関わる力、自分を大切にする力である。
「にんげんだもの」は、不完全さを受け入れる力を育てる。「そのままでいい」は、自己肯定感を育てる。「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」は、共生の心を育てる。「一歩一歩だよ」は、努力を続ける力を育てる。「おかげさま」は、感謝の心を育てる。
これらの力は、一生の財産となる。大人になっても、困難に直面したとき、相田の言葉を思い出す。そして、乗り越える力を得る。教育現場で相田の言葉に触れた子どもたちが、将来、より良い社会を作る——これが、相田みつをの教えが果たす、最も大きな役割である。
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カテゴリー「1.生い立ちと人生」
相田みつをがどのように育ち、何を経験し、詩人・書家としての道を歩んだのか。故郷・足利の風土、貧困の中で学んだ人間理解、両親から受け継いだ価値観、戦争体験、師との出会い——彼の言葉の源泉となった人生の軌跡を辿ります。

「にんげんだもの」「そのままでいい」——相田みつをの優しく力強い言葉は、彼自身の人生経験から生まれました。1924年、栃木県足利市に生まれ、貧しい家庭で育った少年時代。織物の街の職人気質、渡良瀬川の流れ、下町の人情が彼の感性を育みました。誠実に働く父、工夫と感謝を教えた母。戦争という時代の試練。書と禅の修行。そして独自の表現への目覚め——。相田みつをという人間を形作った原点と、その人生の物語をご紹介します。
カテゴリー「2.名言・哲学・作品世界」
「にんげんだもの」「つまづいたっていいじゃないか」「そのままでいい」——相田みつをの代表作に込められた深い意味とは。シンプルな表現の奥にある禅の思想、人間観、生きる哲学を、一つ一つ丁寧に解き明かします。

相田みつをの作品は、誰もが知る言葉と、独特の書体で表現されます。しかしそのシンプルな言葉の裏には、禅の思想、仏教哲学、そして深い人間理解が息づいています。なぜ「そのままでいい」と言えるのか。「一歩一歩」に込められた真意とは。「にんげんだもの」が持つ肯定の力はどこから来るのか。代表作を通じて、相田みつをの哲学を読み解きます。また、書と詩の融合という独自の表現スタイルがどのように生まれ、なぜ多くの人の心を掴むのかも探ります。

