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「中村仁一」自然死を説いた老人ホームの医師

赤ちゃんとひよこ 社会老齢学の著者
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「大往生したけりゃ医療とかかわるな」という衝撃的なタイトルで50万部を超えるベストセラーを生んだ医師、中村仁一。老人ホームの診療所で数百例の「自然死」を見届けてきた彼が説くのは、過剰な医療から距離を置き、穏やかに死を迎えることの大切さでした。「がんは治療しなければ痛まない」「死ぬのはがんに限る」という主張は賛否を呼びましたが、その根底にあるのは、人間らしい最期を自分で選ぶ権利への深い尊重です。医療と仏教の橋渡しを試み、「自分の死を考える集い」を主宰し続けた中村の思想は、超高齢社会を迎えた日本に、死生観を問い直す機会を与えてくれています。2021年に81歳で逝去した彼の言葉から、老いと死を見つめ直してみましょう。


著者の基本情報

中村仁一(なかむら・じんいち)

  • 生年:1940年(昭和15年)
  • 没年:2021年6月5日(81歳)
  • 出身地:長野県更埴市(現千曲市)
  • 学歴:長野県上田高等学校、京都大学医学部卒業(1966年)
  • 経歴:財団法人高雄病院院長・理事長を経て、2000年より社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長
  • 主な活動:「自分の死を考える集い」主宰(1996年~)、「病院法話」開催(1985年~)
  • 代表作:『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(50万部突破)

中村仁一は、長野県で生まれ、京都大学医学部で医師となった後、高雄病院で院長を務めました。2000年、60歳の時に老人ホーム「同和園」の附属診療所所長に就任。ここで高齢者医療の現場に身を置き、延命治療の限界と自然死の穏やかさを目の当たりにします。医療と仏教の連携を模索し、「病院法話」を開催するなど、死生観の啓発に力を注ぎました。また、クイズプレイヤーとしても活躍し、多彩な才能を持つユニークな医師でした。


自然死という選択 医療が邪魔する穏やかな死

中村仁一が提唱した**「自然死」**とは、過剰な延命治療を拒否し、人間本来の寿命を全うすることです。彼が老人ホームの診療所で見てきたのは、点滴も酸素吸入もせず、静かに息を引き取る高齢者たちの姿でした。苦しみもがくのではなく、まるで眠りに落ちるように逝く。その穏やかな最期を何百例も見届けた経験が、彼の確信を生みました。

現代医療は「命を救う」ことに特化しています。しかし高齢者の場合、延命治療が必ずしも本人の幸せにつながるとは限りません。胃ろうを造設され、意識もないまま数年間生かされる。人工呼吸器につながれ、会話もできず家族と別れも告げられない。中村は、こうした状態を「生かされている」と表現し、本人の意思を尊重しない医療の問題点を指摘しました。

「医療とかかわるな」という過激なタイトルには、医療を全否定する意図はありません。回復の見込みがあるなら当然医療を利用すべきです。しかし、ただ死を先送りするだけの治療なら、それは本人のためではなく周囲の自己満足ではないか。中村の主張は、医療の限界を認め、自然の摂理に従う勇気を持とうというものでした。

私自身、祖父の最期を思い出します。病院で点滴と酸素吸入を受け、会話もできないまま数週間を過ごしました。「もっと早く家に連れて帰ればよかった」という後悔が残っています。中村の言葉に触れ、死を迎える場所と方法について、家族で話し合うことの大切さを痛感しました。


がん放置論の真意 痛まない死の可能性

中村仁一のもう一つの主張が、**「がんは完全放置すれば痛まない」**というものです。これは医学界でも賛否が分かれる主張ですが、彼には老人ホームでの豊富な観察経験がありました。

抗がん剤治療や手術を受けたがん患者は、激しい痛みと副作用に苦しみます。しかし、まったく治療をせず放置したがん患者は、最期まで比較的穏やかに過ごせる例が多かったと中村は言います。がんそのものより、がんを叩く治療が体を痛めつける。だから、「死ぬのはがんに限る。ただし治療はせずに」というのが彼の持論でした。

この主張には批判もあります。がんの種類や進行度によって状況は異なり、すべてのがんに当てはまるわけではありません。また、痛みのコントロールは緩和ケアの進歩で改善されています。しかし中村が問いかけたかったのは、治療による延命と生活の質、どちらを優先するかという根本的な問いです。

人生の最終段階において、少しでも長く生きることと、残された時間を自分らしく過ごすこと。どちらを選ぶかは、本人が決めるべきです。医師や家族が一方的に決めるものではありません。中村の主張は極端に聞こえますが、その背景には、患者の自己決定権を尊重せよというメッセージがあったのです。

医療の進歩は素晴らしいことです。しかし、すべての医療技術を使うことが正しいとは限らない。その選択の自由を、私たちは持っているはずです。中村の言葉は、その選択肢を思い出させてくれるのです。


医療と仏教の橋渡し 生前葬という実践

中村仁一のユニークな点は、医療と仏教の連携を試みたことです。1985年から「病院法話」を開催し、医療の現場に仏教の死生観を取り入れようとしました。これは当時としては画期的な試みでした。

仏教には、生老病死という人生の必然を受け入れる智慧があります。老いや病気を敵視せず、自然の流れとして受け止める。この視点は、医療が「病気と闘う」ことに偏りがちな現代に、別の道を示してくれます。中村は、医師として科学的治療を行いながら、仏教の死生観を学び、患者や家族に伝えていきました。

特に印象的なのが、中村自身が行った**「生前葬」**です。自分が元気なうちに葬式を行い、友人知人と最後の別れを交わす。これは単なるパフォーマンスではなく、死を見つめ、残された時間の意味を考える真剣な実践でした。参加者たちは笑いと涙のなかで、命の有限性と人とのつながりの大切さを実感したと言います。

1996年から始めた「自分の死を考える集い」も、同じ趣旨の活動でした。毎月第3土曜日に京都で開催され、中村の講演を聞きに多くの人が集まりました。死はタブーではなく、生きているうちに向き合うべきテーマ。その場を提供し続けたことは、大きな社会貢献だったでしょう。

私たちの社会は、死を忌避し、できるだけ考えないようにしています。しかし、死を見つめることで生がより鮮やかになる。中村の実践は、そのことを示してくれました。死と向き合う勇気を持つことが、実は今を大切に生きることにつながるのです。


父の死が教えたもの 運命を引き受ける覚悟

中村仁一の死生観の原点には、父親の壮絶な死がありました。中村が高校生の時、父は心筋梗塞で亡くなります。半年間、週に1、2回の頻度で激痛の発作を繰り返しながらも、弱音一つ吐かず仕事を続け、最期まで苦しみに耐え抜きました。

父は20歳の時、医療事故で失明していました。眼科で目薬と劇薬を間違えられるという悲劇。以後、想像を絶する苦労を重ね、何度も自殺を考えたと言います。それでも生き抜き、最期も激烈な苦しみの中で尊厳を保った父の姿は、中村の心に深く刻まれました。

父から学んだのは、**「自分の運命は、自分で引き受けるしかない」**という覚悟でした。理不尽な境遇を嘆くのではなく、与えられた条件の中で精一杯生きる。その姿勢が、中村の医師としての哲学、そして死生観の基盤となったのです。

現代社会は、苦しみや不便を排除しようとします。医療も、痛みや死を「敵」として闘います。しかし、苦しみも老いも死も、人生の一部です。それを受け入れ、引き受ける覚悟を持つことが、かえって心の平安をもたらす。父の生き様と死に様が、中村にそれを教えました。

私たちも、完璧な人生を求めすぎていないでしょうか。思い通りにならないことを嘆き、老いを恐れ、死から目を背ける。しかし、不完全さを受け入れることで、かえって自由になれるのかもしれません。中村の父のエピソードは、そんな智慧を伝えてくれます。


同時代の論者との対話 尊厳死議論の先駆け

中村仁一は、同じく終末期医療に問題提起する医師たちと交流し、議論を重ねました。特に近藤誠医師(「がん放置療法」提唱者)や石飛幸三医師(「平穏死」提唱者)とは、考え方に共通点が多く、互いに影響を与え合いました。

石飛幸三との対談本『思い通りの死に方』では、尊厳死と延命治療拒否について率直に語り合っています。二人とも、過剰な医療介入が患者の尊厳を損なうという認識で一致していました。また、久坂部羊との共著『どうせ死ぬなら「がん」がいい』では、がんという病気の特性と、それが「良い死」につながる可能性を論じています。

中村の主張は時に過激で、医学界からの批判もありました。しかし興味深いのは、2012年に『大往生したけりゃ医療とかかわるな』を出版した際、医療者からの批判がほとんどなかったことです。1998年の著書では「年寄りの命を何だと思っている」と批判されましたが、わずか十数年で社会の空気が変わったのです。

これは、超高齢社会の進展と、終末期医療の現実を多くの人が目の当たりにするようになったからでしょう。延命至上主義への疑問は、もはや医師だけでなく、一般市民の間にも広がっています。中村は、その議論の扉を開いた先駆者の一人だったのです。

考え方は人それぞれです。最期まで治療を尽くしたい人もいれば、自然に任せたい人もいる。大切なのは、選択肢があることを知り、自分で選べることです。中村の功績は、その選択肢を可視化したことにあります。


現代社会での応用と実践 自分の死を準備する

中村仁一の思想を、現代の私たちはどう実践できるでしょうか。第一に、エンディングノートや事前指示書の作成です。自分が意思表示できなくなったとき、どんな医療を望むのか、望まないのか。それを文書にしておくことが重要です。

中村が強調したのは、「いっさいの延命措置拒否」という曖昧な表現ではダメだということ。具体的に「心肺蘇生」「人工呼吸器」「胃ろう」「強制的な水分補給」など、個別の処置を明記する必要があります。そうでなければ、医療者は「できる限りの治療」をせざるを得ません。

第二に、家族との対話です。自分の死生観を家族と共有しておくこと。「延命治療は望まない」と伝えておかないと、いざという時、家族は「できる限りのことを」と医師に頼んでしまいます。それは愛情からですが、本人の意思に反する可能性があります。

第三に、かかりつけ医を持つこと。在宅で自然死を迎えるには、24時間対応してくれる訪問診療医が必要です。病院ではなく自宅で最期を迎えたいなら、早めに準備を始めましょう。

第四に、老いを受け入れる心構え。年を取れば体のあちこちが不調になるのは当然です。それを異常として治そうとするより、「年相応」として受け入れる。健康至上主義に振り回されず、今日を楽しむ。中村はそう説きました。

私自身、中村の本を読んでから、両親と終末期の希望について話し合いました。最初は気まずかったですが、話してみると両親も「延命治療は望まない」と考えていました。その確認ができたことで、お互い安心できたのです。死は誰にでも訪れます。だからこそ、生きているうちに準備することが、残された者への最大の思いやりなのだと感じます。


代表書籍5冊紹介

1. 『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』(幻冬舎新書、2012年)

50万部を超える大ベストセラー。過剰な医療が穏やかな死を邪魔していること、がんは治療しなければ痛まないこと、自分の死を考えると生き方が変わることなど、衝撃的な主張が詰まっています。自然死という選択肢を社会に提示した記念碑的著作。タイトルは過激ですが、内容は冷静で実践的。終末期医療を考えるすべての人の必読書です。

2. 『「治る」ことをあきらめる 「死に方上手」のすすめ』(講談社+α新書、2013年)

中村自身が「最後の著作」と明言したラスト・メッセージ。老いと死から逃げない生き方、病気と寿命は別であること、ひとりで生きる覚悟、死にざまは自分で決めることなど、人生の終盤をどう生きるかの指針が示されています。『老いと死から逃げない生き方』の大幅加筆版で、晩年の中村の思想が凝縮された一冊です。

3. 『幸せなご臨終 「医者」の手にかかって死なない死に方』(講談社、1998年)

中村が終末期医療の問題提起を始めた初期の著作。当時は批判も受けましたが、老人ホームでの具体的な事例をもとに、医療に頼らない穏やかな死の実態が描かれています。自然死の実例が豊富で、死への恐怖を和らげてくれる内容。現場医師としての経験に基づく説得力があります。

4. 『思い通りの死に方 自分のこと、家族のこと、決めていますか?』(石飛幸三との共著、幻冬舎新書、2013年)

「平穏死」を提唱する石飛幸三医師との対談本。二人の医師が、尊厳死、延命治療拒否、在宅死の実現方法について具体的に語り合います。家族としてどう対応すべきか、医療者はどう向き合うべきかなど、多角的な視点が得られる貴重な一冊。実践的なアドバイスが満載です。

5. 『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(久坂部羊、中村仁一、近藤誠との共著、宝島社新書、2012年)

医師3人によるがん死をめぐる議論。なぜ「がん死」が理想的なのか、どう向き合えばいいのか。がんへの恐怖を和らげ、前向きに捉え直すための視点が提供されます。賛否両論を呼んだ問題作ですが、がんという病気の本質を考える上で示唆に富む内容。がん患者やその家族にも読んでほしい一冊です。


まとめ 自分の死を生きる

中村仁一は、81年の人生を全うし、2021年に旅立ちました。彼自身がどのような最期を迎えたのか、詳細は公表されていませんが、おそらく自らが説いた「自然死」に近い形だったのではないでしょうか。

中村の功績は、タブー視されがちな「死」について、正面から語る空気を作ったことです。死を見つめることは、決してネガティブなことではありません。むしろ、死を意識することで、今日一日をより大切に生きられるのです。

彼の主張すべてに同意する必要はありません。がん放置論には医学的に議論の余地があるでしょう。しかし、「自分の死は自分で決める」という根本的なメッセージは、誰もが受け止めるべきものです。

超高齢社会の日本では、多くの人が長い老年期を経験します。その最終段階をどう迎えるか。延命治療を望むのか、自然に任せるのか。家族に何を伝えておくのか。これらは、元気なうちに考え、準備しておくべきテーマです。

中村仁一の言葉は、時に過激で、時にユーモラスで、そして常に誠実でした。彼が私たちに残してくれたのは、老いと死を恐れず、自分らしく生き抜く勇気です。その遺産を受け取り、自分なりの答えを見つけていく。それが、中村への最大の敬意になるのではないでしょうか。

人生の最期をどう迎えるか。それは、どう生きるかという問いと表裏一体です。中村の思想は、その問いに向き合う扉を開いてくれるのです。

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