「他者とは何か」「責任とは何か」。20世紀最大の倫理哲学者エマニュエル・レヴィナスの思想を、日本に紹介し続けてきた哲学者、合田正人。明治大学教授として西洋思想史とユダヤ思想を教えながら、40年近くにわたりレヴィナスの翻訳と研究に没頭してきた彼の仕事は、単なる学術的な営みを超えています。ホロコースト、戦争、人間の暴力という極限状況を経験したレヴィナスが紡ぎ出した**「顔の倫理」**を、合田は丁寧に、しかし情熱的に日本語に移し替えてきました。『全体性と無限』『存在の彼方へ』といった難解な哲学書を訳出しながら、同時に『レヴィナスを読む』のような入門書も執筆。哲学を塔の上の学問ではなく、現代を生きる私たちの切実な問いとして語りかける合田の仕事は、慢性的な孤独とストレスに満ちた現代社会に、隣人と共に生きるための倫理を問い直す機会を与えてくれています。
著者の基本情報
合田正人(ごうだ・まさと)
- 生年:1957年
- 出身地:(詳細非公開)
- 学歴:一橋大学社会学部卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退
- 現職:明治大学文学部教授
- 専門:西洋思想史、ユダヤ思想、現象学
- 主な研究テーマ:エマニュエル・レヴィナス、ウラジミール・ジャンケレヴィッチ、ベルクソン、ユダヤ哲学
- 主な著書:『レヴィナスの思想』『レヴィナスを読む』『ジャンケレヴィッチ』『入門ユダヤ思想』『フラグメンテ』
- 主な翻訳:レヴィナス『全体性と無限』『存在の彼方へ』『われわれのあいだで』、ベルクソン『物質と記憶』『創造的進化』、メルロ=ポンティ『ヒューマニズムとテロル』ほか多数
合田正人は一橋大学で社会学を学んだ後、東京都立大学大学院でレヴィナス研究に取り組みました。1988年、31歳で最初の著書『レヴィナスの思想―希望の揺籠―』を刊行。以後、レヴィナスの主要著作の翻訳と研究に人生を捧げてきました。東京都立大学助教授を経て、現在は明治大学文学部教授として教鞭をとっています。
レヴィナスという出会い 他者への無限責任
合田正人の思想的原点は、**エマニュエル・レヴィナス(1906-1995)**との出会いにあります。レヴィナスは、ホロコーストを生き延びたリトアニア系ユダヤ人哲学者です。家族の多くをナチスに殺され、自身も捕虜収容所を経験したレヴィナスが、戦後、問い続けたのは「なぜ人間はこれほどまでに残虐になれるのか」そして「それでもなお、倫理は可能なのか」という根源的な問いでした。
レヴィナスの答えは衝撃的です。倫理は存在論に先立つ。つまり、「私が存在する」という事実より前に、「他者に対する責任」がある。この逆説的な主張が、レヴィナス倫理学の核心です。
合田が最初に翻訳したレヴィナスの主著『全体性と無限』(1989年)は、この思想を展開した大著です。600ページを超える難解な哲学書ですが、その根底にあるのは極めてシンプルな洞察です。他者の「顔」と出会うとき、私たちは無条件の責任を感じる。赤ん坊が泣いている。路上で倒れている人がいる。その「顔」は「殺すなかれ」と命じてくる。この顔の倫理こそが、レヴィナスが生涯をかけて追求したテーマでした。
私自身、合田の翻訳でレヴィナスに出会ったとき、なぜか涙が出ました。哲学書を読んで泣いたのは初めてでした。それは、私たちが日常で感じている「何かがおかしい」という漠然とした不安、他者との関係の中で感じる重さや痛みが、言葉になっていたからです。他者は私の理解を超えた存在である。だからこそ、簡単に判断したり、支配したりしてはいけない。その当たり前のことが、いかに忘れられているか。
翻訳という創造 日本語でレヴィナスを語る困難
合田正人の最大の功績は、レヴィナスの主要著作をほぼすべて日本語に翻訳したことです。『全体性と無限』『存在の彼方へ』『困難な自由』『われわれのあいだで』。これらの翻訳がなければ、日本でのレヴィナス研究はありえませんでした。
しかし、レヴィナスの翻訳は極めて困難です。フランス語の原文自体が難解で、独特のリズムと語法を持っています。さらに、ヘブライ語やタルムードの知識がなければ理解できない部分も多い。合田は、単に言葉を置き換えるのではなく、レヴィナスの思考のリズムを日本語で再現することに心を砕きました。
『存在の彼方へ』の翻訳は、特に苦労したと合田は語っています。「Autrement qu’être(存在とは別の仕方で)」というタイトル自体が、日本語にしにくい。「存在の彼方へ」という訳語は、レヴィナスの意図を伝えながら、日本語として美しい表現を目指した結果です。
翻訳は創造的な行為です。特に哲学の翻訳は、思想そのものを再構成する作業です。合田の翻訳が高く評価されるのは、正確さだけでなく、日本語としての読みやすさと思想の深さを両立させているからです。難解な哲学書でありながら、合田訳のレヴィナスには、不思議な詩的リズムがあります。それは、レヴィナスの原文が持つ音楽性を、合田が日本語で再現しようとした結果なのでしょう。
私も何度か合田訳のレヴィナスを音読したことがあります。不思議なことに、声に出すと意味が染み込んでくるのです。哲学は頭だけで理解するものではない。身体全体で受け止めるものだという実感がありました。
ジャンケレヴィッチという発見 時間と許しの哲学
合田正人のもう一人の重要なテーマが、**ウラジミール・ジャンケレヴィッチ(1903-1985)**です。レヴィナスと同時代を生きたフランスのユダヤ人哲学者で、音楽哲学、時間論、許しの哲学で知られます。
2003年に出版された『ジャンケレヴィッチ』は、日本で初めての本格的な研究書です。ジャンケレヴィッチは、レヴィナスと同じくナチスの迫害を経験しながら、戦後も長くドイツを許さなかった哲学者です。しかし晩年、彼は「許し」について深く考察します。許せないものをどう許すのか。この問いは、現代の私たちにも突きつけられています。
ジャンケレヴィッチの思想の魅力は、その音楽性にあります。彼はピアニストでもあり、音楽についての著作も多く残しています。時間、死、許し、愛。これらのテーマを、彼は音楽的な感性で語ります。合田もまた、この音楽性に魅了され、ジャンケレヴィッチの翻訳にも取り組んでいます。
レヴィナスとジャンケレヴィッチ。二人に共通するのは、ユダヤ性と普遍性の緊張関係です。ユダヤ人としての特殊な経験を持ちながら、普遍的な哲学を語る。その困難な試みが、20世紀後半の倫理思想に大きな影響を与えました。合田は、この二人の思想家を通じて、特殊と普遍、記憶と許し、暴力と倫理という現代の根本問題を考え続けています。
内田樹との対話 レヴィナスを日本文化に接続する
合田正人のレヴィナス研究は、思想家の内田樹にも大きな影響を与えました。内田は、レヴィナスの『困難な自由』の一部を翻訳し(1985年)、その後の著作でもレヴィナスの倫理思想を日本社会の文脈で語り直しています。
内田はレヴィナスの「他者論」を、日本の武道や身体論と接続させました。合気道の「相手を制するのではなく、相手と調和する」という思想は、レヴィナスの「他者への開放性」と響き合う部分があります。内田の試みは、西洋哲学を日本文化の土壌に根付かせる創造的な営みでした。
合田と内田の交流は、翻訳と解釈の協働という形で結実しました。合田が厳密な翻訳と研究でレヴィナスの思想を紹介し、内田がそれを日常的な言葉で一般読者に届ける。この二つの営みが補い合うことで、レヴィナスは日本で広く読まれるようになりました。
また、合田は若手研究者の育成にも力を注いでいます。2011年には『全体性と無限』刊行50周年記念国際シンポジウムを日本で開催し、『顔とその彼方』という論文集を編集しました。フランス、ドイツ、ロシアの第一線の研究者と日本の若手研究者が対話する場を作ることで、レヴィナス研究の国際的ネットワークを構築しています。
ユダヤ思想という地平 普遍への特殊な道
合田正人の研究は、レヴィナスを超えて、ユダヤ思想全体に広がっています。2017年に出版された『入門ユダヤ思想』は、旧約聖書からカバラ、ハシディズム、現代のユダヤ哲学まで、ユダヤ思想の全体像を一般読者にも分かりやすく紹介した入門書です。
ユダヤ思想の特徴は、聖典テクスト(トーラー、タルムード)の解釈を通じて思考が展開されることです。テクストは一義的ではなく、無限の解釈の可能性を秘めている。この「解釈の伝統」が、ユダヤ思想の豊かさを生んでいます。
レヴィナスもまた、この伝統の中にいます。彼の哲学著作とは別に、タルムード講義という膨大な仕事があります。合田は、この二つの顔を持つレヴィナスを総合的に理解することの重要性を説きます。哲学とユダヤ教は対立するのではなく、響き合うのだと。
現代の日本人にとって、ユダヤ思想は遠い世界に思えるかもしれません。しかし合田は、そこに普遍的な智慧があると言います。テクストを大切にすること、解釈を通じて対話すること、記憶を保持すること、他者への責任を自覚すること。これらは、どの文化にも通じる価値です。
私は合田の『入門ユダヤ思想』を読んで、日本の仏教や儒教との共通点を感じました。経典の解釈、師弟関係、口伝の伝統。異なる文化の中に普遍性を見出す。それが、合田の思想的営みの本質なのかもしれません。
現代社会での応用と実践 顔の倫理を生きる
合田正人が紹介するレヴィナスの思想を、現代の私たちはどう実践できるでしょうか。第一に、他者を判断する前に、その顔を見ることです。SNSの時代、私たちは顔の見えない他者を簡単に批判し、攻撃します。しかしレヴィナスは言います。顔と向き合うとき、私たちは暴力を躊躇する。だから、対面のコミュニケーションを大切にすること。それが倫理の第一歩です。
第二に、他者は理解できないという前提を持つことです。私たちは、相手を理解したつもりになります。しかし本当は、他者の内面は完全には分かりません。その謙虚さを持つこと。安易に「分かる」と言わないこと。それが、他者への敬意です。
第三に、責任から逃げない覚悟を持つことです。レヴィナスは、責任は選択するものではなく、課されるものだと言います。困っている人を見たとき、「自分には関係ない」とは言えない。その不自由さこそが、人間の尊厳なのです。
第四に、記憶を保持することです。ジャンケレヴィッチが問うた「許し」の問題は、まず「忘れない」ことから始まります。歴史の暴力、社会の不正義。それを忘れず、語り継ぐことが、同じ過ちを繰り返さない道です。
第五に、言葉を大切にすることです。合田の翻訳の仕事が示すように、言葉は世界を開きます。丁寧に言葉を選び、相手に届く言葉を探す。その営みが、対話を生み、理解を深めます。
私自身、レヴィナスに出会ってから、他者との関わり方が変わりました。すぐに判断せず、相手の言葉を最後まで聞く。分からないことを「分からない」と認める勇気を持つ。それだけで、人間関係が楽になったのです。
代表書籍5冊紹介
1. 『レヴィナスを読む』(NHKブックス、1999年/ちくま学芸文庫、2020年)
レヴィナス入門の決定版。難解な哲学者レヴィナスの思想を、「他者とは誰か」という根本問いから丁寧に解きほぐす名著。慢性的な疲労とストレスに満ちた現代社会で、隣人という難題を抱えて生きるための倫理を探ります。哲学初心者でも読める平易な文体ながら、思想の核心に迫る深い内容。レヴィナスに興味を持ったら、まずこの一冊から。
2. 『ジャンケレヴィッチ 時間と許しの哲学』(みすず書房、2003年)
音楽哲学者ジャンケレヴィッチの日本初の本格的研究書。時間、死、許し、愛という根源的テーマを、音楽的感性で語る思想家の魅力を伝えます。ホロコーストを経験し、長くドイツを許さなかった哲学者が、最後に「許し」について考察する過程が描かれます。レヴィナスとは異なる角度から、20世紀の倫理を照らす一冊。
3. 『入門ユダヤ思想』(ちくま新書、2017年)
旧約聖書からカバラ、現代哲学まで、ユダヤ思想の全体像を分かりやすく紹介した入門書。レヴィナス、ブーバー、ローゼンツヴァイクといった20世紀のユダヤ哲学者の思想が、ユダヤ教の伝統という文脈で理解できるようになります。特殊な宗教思想ではなく、普遍的な智慧として読める一冊。現代社会を考える視座を与えてくれます。
4. 『フラグメンテ』(法政大学出版局、2015年)
合田自身の思索の断片を集めたエッセイ集。レヴィナス、ジャンケレヴィッチ、ベルクソン、メルロ=ポンティなど、合田が長年取り組んできた思想家たちとの対話が、短い断章の形で自由に綴られる貴重な一冊。翻訳者・研究者としての合田ではなく、思索者としての合田の肉声が聞こえてきます。
5. レヴィナス『存在の彼方へ』(合田正人訳、講談社学術文庫、1999年)
合田によるレヴィナス翻訳の代表作。レヴィナス後期の主著で、「存在」の彼方に「倫理」があるという逆説的な主張が展開されます。極めて難解ですが、合田の翻訳は日本語として美しく、思想の深さを伝えることに成功しています。レヴィナス思想の到達点を知るための必読書。文庫版で手に取りやすくなりました。
まとめ 翻訳という架け橋
合田正人は、40年近くにわたり、エマニュエル・レヴィナスという20世紀最大の倫理哲学者の思想を日本に紹介し続けてきました。その仕事は、単なる学術的な業績ではありません。ホロコーストという人類史上最大の悲劇を経験した思想家が、それでもなお倫理の可能性を信じた。その思想を、日本語という全く異なる言語で伝えること。それは、言語を超えた人間性への信頼の表現でもあります。
レヴィナスの「顔の倫理」は、決して抽象的な哲学理論ではありません。それは、日々の生活の中で、他者とどう向き合うかという切実な問いです。SNSで顔の見えない他者を攻撃することの暴力性。移民や難民を「数」として扱うことの非人間性。効率と成果だけを求める社会の冷たさ。これらすべてに対して、レヴィナスは「顔を見よ」と言います。合田は、その声を日本語で響かせ続けているのです。
翻訳は架け橋です。異なる文化、異なる時代、異なる言語を結ぶ架け橋。合田正人という翻訳哲学者の存在によって、私たちは20世紀ヨーロッパのユダヤ人哲学者の智慧に触れることができます。そしてその智慧は、21世紀の日本を生きる私たちにとって、決して無縁ではありません。
他者への無限責任。それは重い言葉です。しかし同時に、人間であることの尊厳を示す言葉でもあります。合田の仕事は、その尊厳を、私たちに思い出させてくれるのです。

