「なぜ日本だけが、スパイを取り締まる法律を持っていないのか」。この素朴な疑問に、歴史と政治の視点から答えた一冊が、江崎道朗著『日本にスパイ防止法がない理由』です。2025年、高市早苗首相が国家情報局創設とスパイ防止法制定を公約に掲げ、国民民主党、日本維新の会、参政党も法案提出に向けて動き出す今、この本が示す戦後の政治史、左派勢力の反対運動、メディアの偏向報道、そして国民の無関心が生んだ安全保障の空白は、私たち日本人が直視すべき現実です。情報漏えいや外国代理人による諜報活動が日常化する現代、スパイ防止法の是非を冷静に判断するために、まず知るべき事実が、この本には詰まっています。
書籍の基本情報
書籍名:『日本にスパイ防止法がない理由』
著者:江崎道朗
出版社:ワニブックス
初版発行:2017年
ページ数:約240ページ
価格:900円前後(税別)
江崎道朗は1962年生まれの評論家・歴史研究者。日本会議政策研究所などで活動し、安全保障や歴史問題について多数の著作があります。本書は、なぜ日本にスパイ防止法がないのかという問いを、戦後政治史を丁寧に紐解きながら解き明かした、わかりやすく、そして衝撃的な一冊です。

1985年の国家秘密法案廃案という歴史的転換点
江崎が本書で最初に取り上げるのが、1985年に自民党が提出した国家秘密法案(スパイ防止法案)の顛末です。中曽根康弘政権下で提出されたこの法案は、防衛・外交にかかわる国家秘密を外国に漏らした者に、死刑を含む厳罰を科すという内容でした。
しかし、この法案は猛烈な反対運動に遭い、1986年に廃案となりました。江崎が強調するのは、この反対運動を主導したのが、統一協会と癒着関係にあった勝共連合の影響下にあった左派勢力と、一部のメディアだったという事実です。
「国家秘密の定義が曖昧」「報道の自由を侵害する」「現代の治安維持法だ」といった批判が繰り広げられました。確かに、法案には改善すべき点があったかもしれません。しかし江崎が問題視するのは、建設的な修正案を提示するのではなく、スパイ防止法そのものを全否定する姿勢でした。
読んでいて驚かされるのは、当時の国会答弁や新聞記事の引用です。反対派は「日本はスパイ天国ではない」「現行法で対応できる」と主張していました。しかし、それから40年近く経った今、日本が実際にスパイ天国であることは、もはや誰の目にも明らかです。
江崎は決して感情的な筆致ではなく、むしろ冷静に、淡々と事実を積み重ねていきます。その誠実な姿勢が、読者に「本当はどうなのか、自分で考えてみよう」という気持ちを起こさせるのです。
冷戦構造が生んだイデオロギー対立の罠
本書の核心部分は、冷戦期のイデオロギー対立がスパイ防止法制定を阻んだという分析です。江崎は、当時の社会党や共産党が、ソ連や中国といった共産主義国家に同調的な姿勢を取っていたことを、豊富な資料で示します。
たとえば、1980年代の社会党の機関紙には、ソ連の諜報活動を「平和のための情報収集」と擁護する論調が見られました。また、一部の学者や文化人も、西側諸国の情報機関を批判する一方で、東側の諜報活動には寛容でした。
この偏った姿勢が、日本の安全保障政策を歪めたと江崎は指摘します。スパイ防止法が「右翼的」「軍国主義的」とレッテルを貼られ、冷静な議論ができなくなってしまったのです。2025年になって、国民民主党や維新の会がスパイ防止法を提案しているのは、ようやくイデオロギーから解放された議論が可能になったからかもしれません。
江崎は、冷戦が終わった今だからこそ、イデオロギーではなく、国益の観点から安全保障を考え直すべきだと訴えます。右でも左でもなく、ただ日本という国を守るために何が必要か。その問いかけは、すべての日本人に向けられています。
読んでいて感じるのは、江崎の温かい眼差しです。反対派を一方的に非難するのではなく、「当時の人々はそう信じていた」という理解を示しながら、しかし「それは間違いだった」とはっきり指摘する。この誠実さが、本書の説得力を高めています。

メディアの偏向報道が作り出した世論
江崎が本書で詳しく分析するもう一つの要因が、メディアの偏向報道です。1985年当時、大手新聞やテレビは、スパイ防止法を「悪法」として一斉に批判しました。
特に問題だったのは、法案の具体的な内容を正確に報道せず、「思想統制につながる」「戦前の治安維持法の復活だ」といった感情的な論調が支配的だったことです。国民は、法案の中身を知らないまま、メディアが作り出したイメージによって反対に回っていきました。
江崎は、当時の朝日新聞、毎日新聞などの社説を丁寧に引用し、その論調を分析します。驚くべきことに、これらの新聞は「日本にスパイはほとんどいない」とまで書いていたのです。しかし現実には、レフチェンコ事件(1982年)でKGBの工作網が暴露されるなど、日本が諜報活動の舞台になっていました。
2025年、情報漏えい事件が相次ぎ、中国やロシアの諜報活動が公然と報道される今、当時のメディアの認識がいかに甘かったかがわかります。江崎は「メディアは間違いを認め、訂正すべきだ」と厳しく指摘しますが、同時に国民一人一人が情報を見極める力を持つことの重要性も強調します。
この章を読むと、情報リテラシーの大切さを痛感します。新聞やテレビが伝えることを鵜呑みにせず、自分で調べ、考える。そうした姿勢が、民主主義社会には不可欠なのだと。
現行法の限界と日本のスパイ天国化
江崎は本書の後半で、現行法ではスパイ行為を取り締まれない具体的な理由を説明します。日本には国家公務員法、自衛隊法、不正競争防止法など、情報漏えいを罰する法律はあります。しかし、これらはすべて「内部者による漏えい」を対象としており、外国のスパイが日本国内で諜報活動を行うこと自体は犯罪ではないのです。
たとえば、2000年に海上自衛隊の幹部が機密情報をロシア大使館の武官に渡した事件は、自衛隊法違反で処罰されました。しかし、その情報を受け取ったロシア側の武官は何の罪にも問われず、堂々と帰国しました。これが日本の現実です。
また、2023年には産業技術総合研究所の研究員が、研究情報を中国企業に漏えいした事件がありました。これは不正競争防止法違反で逮捕されましたが、あくまで「内部者の犯罪」としての処罰です。外国代理人としてのスパイ活動を取り締まる法律は、依然として存在しないのです。
江崎が繰り返し強調するのは、「スパイ行為そのものが犯罪である」という法律がなければ、諜報活動を抑止できないということです。世界のほとんどの国がスパイ防止法を持ち、スパイに対しては死刑や無期懲役といった重罰を科しています。それが抑止力となり、自国の安全を守っているのです。
2025年、反スパイ法を持つ中国では、外国人ビジネスマンが次々と拘束される事態が起きています。一方、日本では外国のスパイが自由に活動できる。この非対称性が、日本の安全保障にとって致命的な弱点になっていると江崎は警告します。
現代社会での応用と実践を考える
『日本にスパイ防止法がない理由』が示す知識は、私たちの日常生活や仕事にどう関わるのでしょうか。
まず、企業の情報管理です。技術流出、営業秘密の漏えいは、企業にとって死活問題です。しかし、スパイ防止法がないため、外国勢力による組織的な情報窃取を防ぐ法的手段が限られています。企業は自衛するしかない状況なのです。セキュリティ対策の強化、社員教育の徹底が、今まで以上に重要になっています。
学術機関でも同様です。大学や研究所での先端技術研究が、外国の諜報機関に狙われています。研究者の国際交流は大切ですが、同時に機密管理の意識も必要です。2025年、多くの大学で安全保障輸出管理の体制が強化されているのは、こうした背景があるからです。
個人レベルでも、情報リテラシーの向上が求められます。SNSでの不用意な発信が、意図せず機密情報の漏えいにつながる可能性があります。また、外国代理人による世論工作や偽情報にも注意が必要です。何が真実で、何がプロパガンダなのかを見極める力が、民主主義社会を守る鍵となります。
そして何より、有権者として国家安全保障政策に関心を持つこと。スパイ防止法の是非、国家情報局の創設、外国代理人登録法の制定。これらの政策について、賛成・反対を問わず、まず基礎知識を持つことが大切です。本書は、その土台を提供してくれます。
どんな方に読んでもらいたいか
この本は、まず国際情勢や安全保障に関心がある方すべてにお勧めしたい一冊です。なぜ日本の安全保障政策が他国と異なるのか、その歴史的背景を知ることで、現在の議論がより深く理解できます。
ビジネスパーソン、特に海外との取引や技術開発に関わる方にも強く推奨します。情報管理の重要性、産業スパイのリスク、そしてそれに対する法的保護の不足を理解するために、本書は必読です。
学生の皆さん、これから社会に出る若い世代にもぜひ読んでいただきたいです。戦後日本の歴史を、安全保障という視点から学ぶことができます。教科書では教えてくれない「もう一つの戦後史」がここにあります。
政治や社会問題に関心がある方、有権者として判断力を高めたい方にもお勧めです。2025年、スパイ防止法を巡る議論が国会で本格化する今、この本が示す歴史的経緯を知っておくことは、賢明な判断をするために不可欠です。
そして何より、日本の将来を心配するすべての方に読んでほしい。イデオロギーに縛られず、冷静に、事実に基づいて考える。その姿勢を江崎は示してくれます。賛成か反対かは読者が決めればいい。ただ、知らずに判断することだけは避けたい。そのために、本書は重要な一歩となるはずです。

関連書籍5冊紹介
1. 『日本人が知らない世界のインテリジェンス』黒井文太郎著
元自衛官の軍事ジャーナリストが、世界の諜報機関の実態をわかりやすく解説。CIA、MI6、モサドなど各国情報機関の組織と活動を紹介し、日本のスパイ防止法不在の問題にも切り込みます。
2. 『インテリジェンス 武器なき戦争』手嶋龍一・佐藤優著
元NHKワシントン支局長と元外務省主任分析官による白熱対談。9.11テロ、イラク戦争、北朝鮮問題など具体的事例を通じて、日本のインテリジェンス不在がいかに国益を損なっているかを明らかにします。
3. 『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』佐藤優著
鈴木宗男事件で逮捕された元外交官が、日本の外交とインテリジェンスの闇を告発。ロシア外交の最前線で情報収集に従事した経験から、日本の情報防衛体制の脆弱性を指摘します。
4. 『目に見えぬ侵略―中国のオーストラリア支配計画』クライブ・ハミルトン著
オーストラリアの政治学者が、中国共産党による組織的な影響力工作を告発。政治献金、大学への浸透、メディア買収など、民主主義国家を内部から侵食する手法は、日本にも当てはまります。
5. 『中国の情報機関―世界を席巻する特務工作』柏原竜一著
中国の情報機関の組織、活動、歴史を包括的に解説。国家安全部、人民解放軍総参謀部、統一戦線工作部など、複雑な中国諜報機関の全体像を理解するための必読書です。
まとめ
『日本にスパイ防止法がない理由』は、戦後日本の安全保障政策の空白を、歴史と政治の視点から解き明かした重要な一冊です。江崎道朗が伝えたいのは、特定のイデオロギーではなく、「まず事実を知ろう」というメッセージです。1985年の国家秘密法案廃案から40年近く、日本はスパイ防止法を持たないまま、世界の中で特異な存在であり続けています。その結果、日本はスパイ天国と呼ばれ、国家機密も企業秘密も狙われ放題の状態です。2025年、高市政権下でようやく国家情報局創設とスパイ防止法制定が議論され始めました。賛成するにせよ反対するにせよ、私たち国民は、まず歴史的経緯と現実を正確に理解する必要があります。江崎が示してくれるのは、冷静な事実認識と、イデオロギーから解放された思考の大切さです。この本を読んで、あなた自身の頭で考え、判断してください。それこそが、民主主義社会に生きる私たちの責任なのですから。


