「情報こそが最強の武器である」。この真理を、日本を代表する二人のインテリジェンス・マスターが実体験を交えて語り尽くした一冊が、『インテリジェンス 武器なき戦争』です。元NHKワシントン支局長の手嶋龍一と、元外務省主任分析官の佐藤優による白熱対談は、9.11テロ、イラク戦争、北朝鮮核実験といった世界を揺るがした事件の裏側で繰り広げられた情報戦の真実を明らかにします。2025年、高市政権が情報大国ニッポンの実現を掲げる今、両氏が示す「インテリジェンス・オフィサーとは何か」「情報分析はどうあるべきか」という問いは、国家の命運を左右する重要なテーマです。武器を持たない戦争、それが情報戦なのだと、この本は私たちに教えてくれます。
書籍の基本情報
書籍名:『インテリジェンス 武器なき戦争』
著者:手嶋龍一・佐藤優
出版社:幻冬舎新書
初版発行:2006年
ページ数:約260ページ
価格:800円前後(税別)
手嶋龍一は1949年生まれの外交ジャーナリスト。NHKワシントン支局長として9.11同時多発テロに遭遇し、11日間にわたる昼夜連続の中継放送を担当しました。佐藤優は1960年生まれの元外務省主任分析官で、モスクワで対ロシア外交の最前線に立ち、クレムリンの中枢に情報網を築き上げた人物です。情報の現場を知り尽くした二人による対談は、臨場感と説得力に満ちています。
9.11テロが明らかにしたインテリジェンスの重要性
本書の冒頭で手嶋と佐藤が語るのは、2001年9月11日の同時多発テロという衝撃的な出来事です。手嶋はワシントン支局長として、まさにその現場で報道の指揮を執りました。彼が語る生々しい証言は、読む者を当時の緊迫した状況へと引き込みます。
9.11テロは、アメリカの情報機関にとって痛恨のインテリジェンス・フェイリア(情報失敗)でした。CIAやFBIは、テロリストの動きを示す断片的な情報を持っていました。しかし、それらを統合し、分析し、政策決定者に的確な警告を発することができなかったのです。
佐藤が指摘するのは、**「情報は集めるだけでは意味がない。それを正しく分析し、判断材料として提供できなければ、情報機関は機能していない」**という厳しい現実です。膨大な情報の海の中から、本当に重要なシグナルを見極める。これがインテリジェンスの本質なのです。
また、両氏が強調するのは、9.11後にアメリカが情報体制を大きく見直したことです。国土安全保障省の創設、国家情報長官の設置、情報機関間の連携強化。これらの改革は、失敗から学ぶというアメリカのプラグマティズムの表れでした。
読んでいて感じるのは、二人の対話の深さです。単なる情報のやり取りではなく、現場を知る者同士だからこそできる洞察に満ちた議論。手嶋が問いかけ、佐藤が答え、そしてまた手嶋が新しい視点を提示する。この知的なキャッチボールが、読者を引き込むのです。
イラク戦争に見る情報操作と情報分析の限界
本書の中核部分の一つが、2003年のイラク戦争をめぐる情報戦の分析です。アメリカがイラクに侵攻した最大の理由は、「サダム・フセイン政権が大量破壊兵器を保有している」という情報でした。しかし、戦後の調査で、その情報は誤りだったことが判明します。
佐藤が詳しく説明するのは、この誤った情報がどのように生まれたかという過程です。イラクからの亡命者が提供した証言、衛星写真の解釈、諜報機関のレポート。これらが積み重なり、ブッシュ政権は確信を持って開戦に踏み切りました。しかし後に、それらの情報の多くが不正確だったことが明らかになったのです。
手嶋が問題視するのは、政治的な圧力が情報分析を歪めた可能性です。政権が望む結論に合わせて、都合の良い情報だけが採用され、疑問を呈する声は無視された。これは「政治化されたインテリジェンス」と呼ばれる、最も危険な状態です。
両氏が口を揃えて強調するのは、インテリジェンス・オフィサーの独立性の重要性です。政治家に迎合せず、事実に基づいた冷静な分析を提供する。それがプロフェッショナルの責務だと。しかし現実には、政治的圧力に抗うことは容易ではありません。
この章を読むと、情報分析という仕事の難しさと重要性が理解できます。断片的な情報から全体像を描き、不確実性の中で判断を下す。間違えば国家を誤った方向に導く。その重責に耐えられる人材を育てることの大切さを、二人は訴えます。

北朝鮮核問題と東アジアの情報戦
本書では、北朝鮮核実験と拉致問題についても詳しく語られています。2006年、北朝鮮は初の核実験を強行し、世界を震撼させました。この動きを事前に察知できたのか、そしてどう対処すべきだったのか。手嶋と佐藤は、リアルタイムで進行する事態について、生々しい分析を展開します。
佐藤が指摘するのは、北朝鮮は情報統制の極めて厳しい国家であり、諜報活動が非常に困難だということです。しかし、完全に情報が遮断されているわけではありません。衛星画像、通信傍受、亡命者の証言、外交ルートでの情報交換。これらを総合すれば、ある程度の見通しは立てられるのです。
手嶋が問題視するのは、日本の情報収集・分析能力の弱さです。アメリカや韓国は独自の情報網を持ち、北朝鮮の動きをある程度把握しています。しかし日本は、主にアメリカからの情報提供に依存しており、独自の判断材料を持ちにくい状況にあります。
拉致問題についても、両氏は厳しい指摘をします。拉致被害者の救出には、軍事力ではなくインテリジェンスが鍵を握ります。北朝鮮内部の情報網を構築し、被害者の所在を特定し、交渉のカードを得る。しかし日本には、そうした対外諜報能力が欠けていると。
読んでいて心が痛むのは、情報力の差が国民の命に直結しているという現実です。拉致被害者の家族が高齢化する中、時間は刻一刻と過ぎていきます。情報大国を目指すことは、単なる国家戦略ではなく、人道的な責務でもあるのです。
インテリジェンス・オフィサーに求められる資質
本書の後半で、手嶋と佐藤が深く掘り下げるのが、優れたインテリジェンス・オフィサーに必要な資質です。単に語学力や分析力があれば良いわけではありません。もっと根源的な、人間としての在り方が問われるのです。
まず必要なのは、幅広い教養です。歴史、哲学、文学、宗教。こうした人文学の素養がなければ、他国の行動原理を理解できません。佐藤が繰り返し強調するのは、「相手の内在論理を読む」ことの重要性です。自分の価値観で相手を判断するのではなく、相手の立場に立って考える。この共感力こそが、情報分析の基礎なのです。
次に重要なのは、倫理観です。諜報活動には、グレーゾーンの判断が常に付きまといます。法律の境界線ギリギリの活動、時には裏切りや欺瞞も必要になります。しかし、だからこそ確固たる倫理観が必要だと両氏は説きます。「国益のため」という大義名分で、何でも許されるわけではないと。
また、孤独に耐える力も必要です。インテリジェンス・オフィサーの仕事は、多くの場合、他人に語ることができません。成功しても誰にも認められず、失敗すれば批判される。それでも黙々と任務を遂行する。そんな強さが求められるのです。
読んでいて勇気づけられるのは、手嶋と佐藤が、日本にも優秀な情報分析の人材がいると信じていることです。ただ、それを育て、活かす仕組みが整っていない。その環境整備こそが、今の日本に必要なのだと。
日本が情報大国になるために必要なこと
本書の終盤で、両氏が議論するのは、日本が真の情報大国となるための条件です。予算を増やせば良いわけでも、組織を作れば良いわけでもありません。もっと根本的な、国家と社会の在り方が問われているのです。
まず必要なのは、政治家のインテリジェンスに対する理解です。情報の価値を認識し、専門家の分析を尊重し、長期的視点で人材育成に投資する。そうした政治的リーダーシップがなければ、どんな組織も機能しません。2025年、高市首相が情報大国構想を掲げたのは、その意味で重要な一歩だと言えるでしょう。
次に、国民のインテリジェンス・リテラシーの向上も必要です。情報の重要性を理解し、スパイ防止法などの法整備を冷静に議論できる社会。メディアも、センセーショナルな報道だけでなく、本質的な問題を伝える責任があります。
また、大学や研究機関でのインテリジェンス教育も欠かせません。手嶋は慶應義塾大学でインテリジェンス論を教え、佐藤も各地で講義を行っています。しかし、まだまだ体系的な教育プログラムは不足しています。情報分析を学問として確立し、次世代を育てる。それが急務なのです。
両氏が最後に強調するのは、希望です。日本は明治維新以来、海外の良いものを取り入れ、独自に発展させる力を持っています。インテリジェンスの分野でも、日本らしい情報文化を築くことができるはずだと。その実現のために、この本が一石を投じたいという願いが、行間から伝わってきます。
現代社会での応用と実践を考える
『インテリジェンス 武器なき戦争』が示す知識は、国家レベルだけでなく、私たちの日常生活にも応用できます。
まず、ビジネスにおける競合分析です。市場調査、顧客動向の把握、競合他社の戦略予測。これらはまさに企業におけるインテリジェンス活動です。公開情報を丁寧に収集し、パターンを見出し、将来を予測する。手嶋と佐藤が示す情報分析の手法は、そのまま経営戦略に活かせます。
個人レベルでは、情報リテラシーの向上が重要です。フェイクニュース、偽情報、プロパガンダが溢れる現代。何が真実で、何が嘘か。誰が、なぜ、その情報を発信しているのか。こうした批判的思考は、インテリジェンスの基礎です。本書が教えてくれる「情報の裏を読む」技術は、日常生活でも役立ちます。
また、キャリア形成という観点でも示唆に富んでいます。幅広い教養を身につけ、語学力を磨き、異文化を理解する。こうした能力は、グローバル化する社会で必須のスキルです。自分自身を一人のインテリジェンス・オフィサーと見なし、常に学び続ける姿勢が大切なのです。
そして何より、有権者として国家安全保障政策に関心を持つこと。情報大国構想、スパイ防止法、国家情報局創設。これらの政策について、感情的にではなく、冷静に判断する。そのための基礎知識として、本書は貴重な材料を提供してくれます。
どんな方に読んでもらいたいか
この本は、まず国際情勢や安全保障に興味がある方すべてにお勧めしたい一冊です。ニュースの裏側で何が起きているのか、その実態を知ることで、世界の見方が一変します。
ビジネスパーソン、特に経営層や戦略立案に関わる方にも強く推奨します。情報の収集・分析・活用という一連のプロセスは、ビジネスにも直接応用できます。競争優位を築くための武器として、インテリジェンスの考え方は不可欠です。
学生の皆さん、これから社会に出る若い世代にもぜひ読んでいただきたいです。手嶋と佐藤が示すインテリジェンス・オフィサーの生き方は、どんな職業に就くにせよ、参考になる人生の指針です。専門性と教養、倫理観と柔軟性。これらのバランスが、プロフェッショナルを作ります。
政治や社会問題に関心がある方、有権者として判断力を高めたい方にもお勧めです。情報大国を目指すべきか、スパイ防止法は必要か。こうした問いに答えるための基礎知識が、本書には詰まっています。
そして何より、世界の動きを深く理解したいと願うすべての方に読んでほしい。表面的なニュースではなく、その奥にある真実を知りたい。そんな知的好奇心に、この本は確実に応えてくれます。

関連書籍5冊紹介
1. 『日本人が知らない世界のインテリジェンス』黒井文太郎著
元自衛官の軍事ジャーナリストが、世界の諜報機関の実態をわかりやすく解説。CIA、MI6、モサドなど各国情報機関の組織と活動を紹介し、日本のスパイ防止法不在の問題にも切り込む入門書です。
2. 『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』佐藤優著
本書の共著者・佐藤優の代表作。鈴木宗男事件で逮捕された経緯を描きながら、日本の外交とインテリジェンスの闇を告発。実体験に基づく迫力ある証言が、情報の世界の実像を伝えます。
3. 『インテリジェンスの最強テキスト』手嶋龍一・佐藤優著
本書の続編とも言える大著。ウクライナ情勢、「イスラム国」、9.11テロなど、具体的事例を通じてインテリジェンスの本質を学ぶ教科書的一冊。年表・用語解説付きで理解が深まります。
4. 『ウルトラ・ダラー』手嶋龍一著
手嶋龍一によるインテリジェンス小説の傑作。北朝鮮の偽ドル札製造を巡る国際謀略を描き、「日々のニュースがこの物語を追いかけている」と評された予見性の高さが話題となりました。
5. 『日本にスパイ防止法がない理由』江崎道朗著
なぜ日本だけがスパイ防止法を持たないのか。戦後の政治史を紐解きながら、安全保障の空白が生まれた経緯を明らかにする。本書と合わせて読むことで、日本の情報問題の全体像が理解できます。
まとめ
『インテリジェンス 武器なき戦争』は、情報戦の最前線を知る二人の専門家が、その経験と知見を惜しみなく披露した貴重な一冊です。手嶋龍一と佐藤優が伝えたいのは、インテリジェンスは特別な人だけのものではなく、現代を生きるすべての人に必要な知恵だということです。9.11テロ、イラク戦争、北朝鮮核問題。これらの国際事件の裏側には、常に情報戦がありました。誰が正しい情報を持ち、誰が判断を誤ったのか。その検証から、私たちは多くを学ぶことができます。2025年、日本が情報大国を目指す今、この本が示す「インテリジェンスとは何か」「インテリジェンス・オフィサーとはどうあるべきか」という問いは、ますます重要性を増しています。武器を持たない戦争、それが情報戦です。そしてその戦いは、遠い世界の話ではなく、私たち一人一人の日常に関わっています。情報を正しく読み解き、冷静に判断し、賢明に行動する。そんな力を身につけるために、本書は最良の教科書となるでしょう。ぜひ手に取って、情報の世界の奥深さと面白さを体感してください。

