「なぜAV女優になったの?」この問いに、彼女たちは驚くほど饒舌に、いきいきと答えます。しかし、その語りは本当に「彼女たち自身の言葉」なのでしょうか。
東大大学院で社会学を専攻し、自身もAV女優として働いた経験を持つ鈴木涼美氏による『「AV女優」の社会学』は、AV女優たちの「語り」に焦点を当てた画期的な研究書です。
本書が明らかにするのは、性の商品化という現象を、被害者論でも自己決定論でもない、全く新しい視点から捉え直す試みです。
書籍の基本情報
書籍名:「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか
著者:鈴木涼美
出版社:青土社
書籍の説明:東京大学大学院学際情報学府の修士論文を書籍化。著者自身がAV女優として働いた経験と、社会学者としての視点を融合させ、AV女優たちが面接や取材で「饒舌に自らを語る」という現象を分析。性の商品化をめぐる既存の議論に一石を投じた画期的な研究書として、紀伊國屋じんぶん大賞第29位、『ダカーポ』で今年最高の本!第7位に選出された。2023年には増補新版が刊行されている。
なぜ彼女たちは饒舌に語るのか
本書の最も独創的な問いは、タイトルにもなっている「なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか」です。多くのAV女優は、面接や取材の場で、自分がAV女優になった動機や、この仕事への思いを、驚くほど明確に、そして生き生きと語ります。「自分の性を解放したかった」「お金が必要だった」「自分を試したかった」。その語り口は、まるで最初から確固たる意志を持ってこの仕事を選んだかのようです。しかし、鈴木氏が問うのは、その語りの真正性ではありません。むしろ、「語るという行為そのものが、彼女たちをAV女優にしていく」という構造です。面接という場で自分の動機を語ることで、最初は曖昧だった理由が、明確なものへと変わっていく。語りを繰り返すことで、彼女たちは自己を獲得し、「AV女優」というアイデンティティを内面化していくのです。「わかる!」と思ったのは、これが決してAV女優だけの話ではないということです。私たちは誰もが、自分の選択を語ることで、その選択を正当化し、自己を作り上げていきます。語りは、単なる説明ではなく、自己形成の手段なのです。2025年現在、セックスワークをめぐる議論は、AV新法の施行以降、さらに活発化しています。被害者としてのAV女優、主体的に選択するAV女優。しかし、本書が示すのは、そのどちらでもない、もっと複雑な現実なのです。
性の商品化をめぐる言説の変遷
本書の第2章では、性の商品化とセックスワークをめぐる言説の歴史が丁寧に整理されています。売春、風俗、AV。これらは長く、女性の被害や搾取という文脈で語られてきました。フェミニズムの一部は、性の商品化そのものを女性への暴力と捉え、廃止を主張してきました。一方で、1990年代以降、セックスワーカー自身が声を上げ始めます。「私たちは被害者ではない。これは私たちが選んだ仕事だ」と。この「自己決定論」は、セックスワーカーの主体性を尊重する立場として、一定の支持を得ました。しかし、鈴木氏が指摘するのは、被害者論も自己決定論も、どちらもAV女優たちの複雑な現実を十分に捉えきれていないということです。被害者として語られれば、彼女たちの主体性は否定される。自己決定として語られれば、構造的な問題が見えなくなる。本書は、この二項対立を超えて、AV女優たちが「生きた経験として性を商品化している」その過程を、丁寧に描き出すのです。2025年、ジェンダー問題として性産業をどう捉えるかは、社会的な論争になっています。AV新法をめぐる議論でも、保護と自己決定のバランスが問われています。本書が提示する視点は、この難しい問題を考える上で、重要な示唆を与えてくれます。
単体女優から企画女優へ
本書では、AV業界の構造変化も詳しく分析されています。かつてのAV業界は、「単体女優」と呼ばれるスター的存在を中心に回っていました。彼女たちは専属契約を結び、手厚くプロデュースされ、高いギャラを得ていました。しかし、2000年代以降、業界の主流は「企画女優」へと移っていきます。企画女優とは、素人感を売りにし、大量生産される作品に出演する女優たちのことです。彼女たちは単体女優ほどの待遇は受けず、ギャラも低い。しかし、参入のハードルは低く、多くの女性がこの世界に入ってきます。この構造変化の背景には、インターネットの普及とAVの大衆化があります。かつてのような「憧れのAV女優」ではなく、「自分の隣にいそうな女の子」が求められるようになったのです。鈴木氏は、この変化が、AV女優たちの語りにも影響を与えていると指摘します。単体女優は、「選ばれた存在」として自己を語ることができました。しかし、企画女優には、そのような特権的な物語はありません。だからこそ、彼女たちは面接という場で、自分なりの動機や意味を必死に語り、見出そうとするのです。2025年、AV新法の施行により、業界は大きく変化しました。制作本数の減少、出演機会の減少。一部では「地下化」も指摘されています。本書が描いた2013年当時の業界構造は、さらに変容を遂げているのです。
語ることで自己を獲得する
本書の最も重要な洞察は、「動機を語る動機」という第6章に凝縮されています。AV女優たちは、なぜこれほど饒舌に、自分の動機を語るのでしょうか。それは、社会が彼女たちに「語ること」を要求するからです。AVに出演するという選択は、社会の規範から逸脱した行為とみなされます。だからこそ、「なぜそんなことをするのか」という問いが、絶えず投げかけられる。その問いに答えることで、彼女たちは自分の選択を正当化し、社会の中での居場所を確保しようとします。しかし同時に、語ることは自己を変容させます。面接で「お金が必要だった」と語った女性は、その語りを繰り返すうちに、本当にそれが自分の動機だったと信じるようになる。あるいは、「自分の性を解放したかった」という物語を内面化していく。語りは、過去の説明ではなく、現在の自己形成なのです。「わかる!」と共感したのは、これが私たち全員に当てはまることだという点です。就職の面接で志望動機を語るとき、恋愛関係を始めるときに出会いのきっかけを語るとき。私たちは語ることで、自分の選択に意味を与え、自己を作り上げていきます。AV女優たちの語りは、その極端な形なのかもしれません。
この先に進む前に、ほんの一息
今日から考えたいこと
では、本書を読んだ私たちは、何を考え、どう行動すればよいのでしょうか。まず、性の商品化を単純な善悪で判断しないことです。被害者か、自己決定か。そのどちらでもない、複雑な現実があることを理解すること。次に、「語り」の持つ力と危うさを認識することです。語りは自己を形成する一方で、ときに自己を縛ります。誰かに語らされている可能性にも、目を向ける必要があります。そして、セックスワーカーの人権を守ること。2025年、AV新法をめぐっては、保護と規制のバランスが問われています。大切なのは、当事者の声に耳を傾け、彼女たち自身が望む支援を考えることです。鈴木氏が本書で示したのは、AV女優たちへの温かい眼差しです。彼女たちを被害者としても、悪女としても描かず、一人の人間として、その生きた経験に寄り添う。この姿勢こそが、性産業で働く人々の尊厳を守る第一歩なのです。
どんな方に読んでもらいたいか
この本は、性や労働について考えたいすべての方におすすめしたい一冊です。
社会学やジェンダー研究に関心がある方へ。アカデミックでありながら読みやすく、性の商品化という難しいテーマを新しい視点から捉え直しています。学びと成長の契機として。
性産業や労働問題に関心がある方へ。被害者論でも自己決定論でもない、第三の視点を提供してくれます。柔軟な思考を養うために。
メディアや表現に携わる方へ。「語り」がどのように自己を形成し、また縛るのか。表現の倫理を考える上で重要な示唆が得られます。
若い世代の方へ。性や労働について、ステレオタイプではない理解を深めたい方に。人生の岐路で、自分の選択を見つめ直すために。
すべての方へ。私たちは誰もが、語ることで自己を作り上げています。その営みの意味を、深く考えるきっかけとなる一冊です。
関連書籍のご紹介
1. 『身体を売ったらサヨウナラ』鈴木涼美著
同じ著者による、夜の世界で働く女性たちを描いたエッセイ。学術的な本書とは異なり、より文学的な筆致で性産業の現実を綴ります。『「AV女優」の社会学』と合わせて読むことで、著者の視点がより深く理解できます。
2. 『最貧困女子』鈴木大介著
家族・地域・制度という三つの縁を失い、セックスワークで生きる女性たちを描いたルポ。性の商品化の最底辺を知ることで、構造的な問題が見えてきます。
3. 『セックスワーク・スタディーズ』SWASH編著
セックスワーク当事者による研究書。当事者の視点から、性産業の現実と課題を明らかにします。本書と合わせて読むことで、多角的な理解が得られます。
4. 『往復書簡 限界から始まる』鈴木涼美・上野千鶴子著
フェミニズムの巨人・上野千鶴子と鈴木涼美の往復書簡。世代を超えた対話から、性やジェンダーについて深く考えられます。世代間対話の好例として。
5. 『不倫論』鈴木涼美著
性や愛をめぐる規範について考察した評論集。『「AV女優」の社会学』で示された「語り」の視点が、より広いテーマに応用されています。人生の智慧として。
まとめ
『「AV女優」の社会学』は、読むのが少し難しい本かもしれません。しかし、だからこそ読む価値があります。性の商品化という、誰もが意見を持ちながら、きちんと向き合うことの少ないテーマを、真正面から考察しているからです。
鈴木涼美氏が明らかにしたのは、AV女優たちの「語り」が、単なる説明ではなく、自己形成の手段であるという事実です。彼女たちは面接や取材で自分の動機を語ることで、最初は曖昧だった理由を明確にし、「AV女優」というアイデンティティを獲得していきます。
本書が教えてくれるのは、性の商品化を被害者論でも自己決定論でもない視点から捉える可能性です。AV女優たちは、被害者でも悪女でもなく、生きた経験として性を商品化している一人の人間なのです。
そして、最も重要なメッセージは、これが決してAV女優だけの話ではないということ。私たちは誰もが、語ることで自己を作り上げています。就職の面接、恋愛の告白、人生の選択。すべての場面で、私たちは語ることで、自分の行動に意味を与え、自己を形成していくのです。
2025年、性産業をめぐる議論は、ますます複雑化しています。AV新法の施行により、業界は大きく変化しました。保護と規制のバランス、当事者の声をどう聞くか。これらの問いに、簡単な答えはありません。
しかし、本書が示すのは、単純化された議論ではなく、複雑な現実に向き合う誠実さです。AV女優たちを一面的に捉えるのではなく、その多様性と複雑性を認めること。そして、彼女たち一人一人の「生きた経験」に寄り添うこと。
読み終えたとき、あなたは性や労働について、今までとは違う視点を持つでしょう。そして、自分自身の「語り」についても、考えるきっかけを得られるはずです。
あなたも、性の商品化という難しいテーマに、真摯に向き合ってみませんか。
鈴木涼美氏が示してくれた新しい視点は、この社会を理解するための、貴重な手がかりとなるはずです。
ここまで、時間を分けてくださり、ありがとうございます。
もし、まだ少しだけ余白が残っているなら。
もうひとつの視点を。
いづれかの言葉が、ゆっくり馴染みますように。
それぞれの一日を。



